この項目では、日本の下着メーカーの福助について説明しています。そのほかの福助については「福助 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
福助株式会社
FUKUSKE Corporation種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
〒135-0064
東京都江東区青海2-4-24
青海フロンティアビル11階・12階
設立2000年(平成12年)11月24日
業種繊維製品
法人番号5011001041754
福助株式会社(ふくすけ)は、東京都江東区に本社を置く足袋・靴下・ストッキング・下着などの製造販売をおこなう企業である。豊田通商の100%子会社。
現在の大阪府堺市堺区にて創業した足袋の老舗としてその名を知られるが、2003年の倒産後は東京に経営基盤を移している。 創業者の辻本福松が、1882年に大阪府堺区(現・堺市堺区)大町東にて足袋の製造販売をおこなう「丸福」を創業させる。しかし丸に福を入れただけの商標は、すでに他の業者が商標として登録していたこともあり、伊勢詣での際に福助人形を見つけたことから、これをもとに挿絵化、1900年に「福助印堺足袋」として商標登録をおこなう。またその間の1895年には足袋用のミシンを開発し、足袋の大量生産化を成功させる。 辻本福松亡き後、後を任された辻本豊三郎は、販路を拡大すべく東京へ向かうが、当時東京では「足袋は手縫い」が常識となっていたため、販路の拡大に苦戦するも、徹底した売り込みを続けると共に、新聞への広告掲載や、看板・ポスターなどの設置に心血を注ぎ、やがて福助の名は全国に広がってゆく。パブリシティによって福助の知名度が上がることを知った辻本豊三郎は、1923年に博多、1928年には大阪・道頓堀、東京・浅草に巨大広告塔を設置。これを発端として、戦後サトウハチロー、三木鶏郎の手によるテレビやラジオでのCMソングなどによる宣伝につながってゆく。
概要
2003年6月21日、民事再生法の申請に伴い、426億円もの負債を抱えて倒産する。同年10月1日に企業再生ファンド、MKSパートナーズにより設立された新会社へ、事業、商号、ブランドを含めた営業の一切を譲渡し、創業者・辻本一族は経営から退くことになった。変わって伊勢丹の名バイヤーとしてその名を知られる藤巻幸夫が社長に就任し、新たに経営基盤も東京へと移り、新生福助としてスタートを切ることになった。2007年5月17日、豊田通商との資本・業務提携により同社の持分法適用会社となった。2009年10月には豊田通商がMKSパートナーズの保有株式の全株を取得し連結子会社化した。
倒産する前は三和グループのメンバーであり三和系企業で設立されたみどり会の会員企業だったが[2]、倒産・新会社への営業譲渡に伴いみどり会を退会した。因みに現在の東証一部に上場していた。
沿革
1882年 - 大阪府堺区(現・堺市堺区)大町東にて足袋の製造・販売を行う「丸福」として創業。
1887年 - 足袋はひもつきが70%、鯨骨小鉤(こはぜ)つきが30%[3]。
1900年 - 「福助」を商標登録し、「福助印堺足袋」のブランドで全国展開を図る。
1919年 - 「福助足袋株式会社」設立。
1949年 - 現在の東証一部に上場。
1947年 - 昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[4]。
1964年 - 商号を「福助株式会社」に変更。
1982年 - 創業100周年。バーバリー社と提携。