福井鉄道南越線
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南越線
クハ122(元南越線150形)
概要
現況廃止
起終点起点:社武生駅
終点:戸ノ口駅
駅数14駅
運営
開業1914年1月29日 (1914-01-29)
廃止1981年4月1日 (1981-4-1)
所有者福井鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長14.3 km (8.9 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流600 V 架空電車線方式
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停車場・施設・接続路線
凡例


北陸本線


0.0社武生駅武生駅


0.3福武口駅武生新駅


福鉄福武線


0.8北府駅 [1]


北陸本線


2.4村国駅


3.9塚町駅


4.3北村駅


4.7北駅 -1925?


福井化学工業武生工場専用線


6.8五分市駅


1981年廃止区間


8.7粟田部駅


1971年廃止区間


9.8岡本新駅


10.4定友駅


11.5野岡駅


12.6庄境駅


13.2越前赤坂駅


14.3戸ノ口駅

南越線(なんえつせん)は、かつて福井県武生市(現在の越前市)の社武生駅から同県鯖江市戸ノ口駅までを結んでいた福井鉄道鉄道路線である。
概要

武岡軽便鉄道(ぶこうけいべんてつどう)の蒸気動力による軽便鉄道路線として、1911年明治44年)に認可され、1915年大正4年)までに武生(現在の越前市)- 岡本新(旧今立郡今立町、現在の越前市今立地区)間、1924年(大正13年)に戸ノ口(現在の鯖江市戸口)までが開業した。戸ノ口 - 鯖江間の延伸計画もあったが幻に終わった[2]。その後、社名変更や会社合併を経て、1945年昭和20年)には福井鉄道の一路線となった。

モータリゼーションによる乗客の減少により南越線全線廃止が決まり、第一段階として1971年(昭和46年)に粟田部 - 戸ノ口間が廃止された。残りの社武生 - 粟田部間は五分市駅より分岐する3つの専用線の貨物輸送契約の関係から廃止が先送りされたが[2][3]1981年(昭和56年)に廃止された。

社武生駅は国鉄北陸本線武生駅の東側にあった。武生駅への連絡線を介して北陸本線と福武線との貨車の受渡しや福武線への甲種輸送が行われていた。福井鉄道福武線の武生新駅(現・越前武生駅)とは、北陸本線をはさんで福武口駅で地下道を通じ連絡していた。また岡本新駅スイッチバック形の配線になっていた[2][4]
路線データ

1971年の部分廃止直前時点のもの

路線距離(
営業キロ):社武生 - 戸ノ口間 14.3km

軌間:1067mm

駅数:14駅(起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:全線(直流600V)

年表

1911年明治44年)9月28日 鉄道免許状下付(武生-定友間)[5]

1912年(明治45年)4月1日 武岡軽便鉄道設立[6][7]

1913年大正2年)3月26日 軽便鉄道鉄道免許状下付(南条郡武生町-丹生郡朝日村間)[8]

1914年(大正3年)

1月29日 新武生(後の社武生) - 五分市間が開業[9][10]。軌間762mm[11]

3月11日 村国駅、北村駅開業[12]

5月22日 五分市 - 粟田部間が開業[9][13]


1915年(大正4年)8月26日 粟田部 - 岡本新間が開業[9][14]


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