福井県立若狭高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度29分51.9秒 東経135度45分3.2秒 / 北緯35.497750度 東経135.750889度 / 35.497750; 135.750889
福井県立若狭高等学校(ふくいけんりつ わかさこうとうがっこう、英: Fukui Prefectural Wakasa High School)は、福井県小浜市千種にある公立の高等学校。通称は「若高(じゃっこう)」。 福井県立の高校ではあるが、関西圏とのつながりが深い嶺南(北近畿)に位置するため、生徒のなかで、京都大学をはじめとした関西の国公立大学への志向が強いことが特徴として挙げられる。 校是は「異質のものに対する理解と寛容」。 小浜藩校「順造館」を前身に、若狭地方で中学教育が始められたことをルーツとしている。藩校成立は18世紀に遡り、県内でも有数の歴史を持つ。 1895年(明治28年)に福井県簡易農学校分校として小浜に水産科が設置され、のちに福井県立小浜水産学校となる。1905年(明治38年)には私立稚桜女学校が設立され、これが福井県立小浜高等女学校に発展した。 1948年(昭和23年)の学制改革により、小浜中学、小浜高女、小浜水産が合併し、福井県立小浜高等学校が設立された。翌年、遠敷高等学校を合併し、福井県立若狭高等学校となった。 設立当初は、普通科、商業科、家庭科、農業科、水産科および定時制から構成された。のち、農業科が若狭農林高等学校(現・若狭東高等学校)、水産科が小浜水産高等学校として独立(2013年に再統合)し、今日に至っている。 「異質のものに対する理解と寛容」の精神を養い、教養豊かな社会人の育成を目指す。 同校は福井県立小浜中学校、福井県立小浜高等女学校および福井県立小浜水産学校をその母体としているが、現在に至るまで多くの変遷を経ている。 「順造館」の遺構[1]である順造門が、2016年(平成28年)現在も若狭高等学校正門として使用されている。
概要・歴史
旧制小浜中学校
嶺南の他の県立高等学校と異なり、滋賀県から分離後、中学校令(一府県一校)により一時廃止され、福井中学の分校を経て、1897年(明治30年)に小浜尋常中学となった。
旧制小浜水産学校、旧制小浜高等女学校
学制改革後
教育目標
努力目標
学力の向上に努め、自主及び自律の精神を育てる。
特別活動の充実に努め、自他の敬愛と協力の精神を育てる。
学校環境整備に努め、美しいものや正しいことに関心を持つ心を育てる。
地域社会との連携に努め、若狭の自然や歴史と文化を大切にする心を育てる。
沿革
年表
前史
小浜藩校「順造館」
1774年(安永3年) - 第10代小浜藩主酒井忠貫が西依墨山(望楠軒4代目講師)を招いて小浜藩の学問所(藩校)として開校。
1881年(明治14年) - 藩学「順造館」を中学校として発足。
1886年(明治19年) - 中学校令(一府県一校設置の原則)に伴い廃止。
順造門
学制改革まで
福井県立小浜中学校
1894年(明治27年) - 旧藩主酒井忠道の多額の援助と旧藩士の有志による「尚義会」の活躍により、雲浜村順造館跡、すなわち現在の南川河畔の県立大職員家族寮付近に旧制中学校が設立される。
Size:72 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef