福井 敬治基本情報
国籍 日本
出身地奈良県葛城市
生年月日 (1976-05-12) 1976年5月12日(48歳)
身長
体重189 cm
95 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手
プロ入り1994年 ドラフト3位
初出場2000年9月26日
最終出場2006年7月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
智辯学園高等学校
読売ジャイアンツ (1995 - 2004)
広島東洋カープ (2005 - 2006)
茨城ゴールデンゴールズ
コーチ歴
茨城ゴールデンゴールズ
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福井 敬治(ふくい けいじ、1976年5月12日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、少年野球指導者。
現役時代は読売ジャイアンツ、広島東洋カープでプレーしていた。 智辯学園高では2年生の時、遊撃手として1993年春の選抜に出場、2回戦(初戦)で長崎日大高の中村隼人に抑えられ敗退。翌1994年夏はエースとして県大会3回戦で田中宏和がエースの桜井商に3-4で敗退。高校通算25本塁打。1994年のドラフトで読売ジャイアンツから3位指名され入団。 2000年に一軍に上がる。 2002年も主に内野手として61試合に出場。うち8試合に先発しチームのリーグ優勝に貢献。4月19日の阪神タイガース3回戦では、井川慶から延長10回表に決勝本塁打を放った。この年は5月10日にも井川から本塁打を放ち、井川の先発時にはほぼ毎試合起用されて「井川キラー」として存在感を発揮したが[要出典]、翌年以降はノーヒットに抑えられている。 2003年5月31日の阪神戦で、9回表に一塁の守備固めに入ったが、ノーアウト一、二塁で赤星憲広のバントが三塁線の小フライになり、一塁側から飛びついてキャッチを試みるが落球。結果エラーとなりノーアウト満塁とピンチを広げてしまう。その後阪神打線が繋がり1イニング11失点を喫してしまった。 2004年のシーズン終了後、巨人から戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加し、広島東洋カープに入団。 2005年は三塁手、二塁手として8試合に先発出場。また試合終盤に二塁手のエスターリン・フランコの守備固めにも起用され、同年は73試合出場、25安打、打率.287と自己最高の成績を挙げた。 2006年4月22日の中日ドラゴンズ戦では、延長12回表で内野手5人の奇策に参加。この年も不調に苦しみ、10月1日、二度目戦力外通告を受ける。現役続行を希望してトライアウトを受験したが、声をかける球団がなかったことにより現役続行を断念し、プロ野球選手を引退。 2007年1月19日に放映された『バース・デイ』においてプロ野球選手引退を決意するまでの過程が紹介された。 『バース・デイ』放送から8日後の1月27日、萩本欽一率いる社会人野球チームの茨城ゴールデンゴールズに入団することが決まった。また、オープン戦限定で「シーケル福井」の登録名で出場している[1]。選手としてだけでなくコーチも兼任した[2]。 2008年1月の新春特番『進め!スポーツ元気丸』(広島ローカル)に出演。2010年限りで茨城ゴールデンゴールズを退団。 現在は少年野球指導者として活動。少年野球教室「KIDSベースボールスクール」の代表、及び中学硬式野球チーム「狭山西武ボーイズ」の監督を務めている[3]。2020年6月27日には古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結し、東京エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[4]。
来歴
プロ入り前
プロ入り後
引退後
詳細情報
年度別打撃成績
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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