祭文
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祭文とは、
祭文(さいもん)。
日本の伝統的な語りものまたは歌謡歌いもの)の一種。本来は祭りの際に神にささげる願文。中世以降、山伏修験者によって芸能化され、近世には門付芸になった。祭文を語った芸能・芸能者を「祭文語り」または単に「祭文」と呼んだ。

祭文太郎(さいもん たろう)。日本の映画監督。→「祭文太郎」参照。

祭文峠(さいもんとうげ)。静岡県島田市にある。→「祭文峠」参照。

祭文(さいぶん、Ji Wen)。中国における漢文文体の一種で、祭時に誦される。主として死者葬送する目的でつくられる。→「祭文 (漢文)」参照。

入祭文(にゅうさいぶん)。カトリック教会の用語。ミサの開始を告げる文。→「入祭文」参照。

本項では、1.について説明する。 『人倫訓蒙図彙』(元禄3年(1690年))より「祭文」挿図 山伏による祭文語り

日本における祭文(さいもん)は、を祭るときに読む文[1]。本来、祭りのときなどに神仏に対して祈願祝詞(のりと)として用いられる願文であったが、のちに信仰を離れて芸能化していった。

祝詞が日本古来の祭儀に読まれ、伝統的ないし公的な性質を強くもつのに対し、祭文は個人的・私的な性格を有し、中国から伝来した祭祀などに唱えられることが多かった[1]。なお、願文としての祭文が文献資料においてあらわれる最も古い例は、8世紀末に成立した『続日本紀』においてである[2]

語りもの芸能としての歴史は、中世にさかのぼる。近世には歌謡化した「歌祭文(うたざいもん)」が隆盛し、単に「祭文」といった場合には、この歌祭文を指すことも多い。
目次

1 歴史

1.1 古代

1.2 中世

1.3 近世

1.4 浄瑠璃『新版歌祭文』について

1.5 歌祭文から派生した諸芸能

1.5.1 盆踊り歌・瞽女唄

1.5.2 説経祭文

1.5.3 ちょぼくれ・ちょんがれ・あほだら経

1.5.4 デロレン祭文

1.5.5 浪曲・落語・講談


1.6 近現代


2 祭文殿

3 ことわざ

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 参考文献

6 関連項目

歴史

祭文は、神道における祝詞を母体にしながら生まれ、中世には仏教声明の強い影響を受けて山伏らによる民間への布教手段として語られるようになり、次第に宗教色を薄めて近世には遊芸となったものである。

巫女憑依するときに唱える祝詞も祭文の一種である。現代では東北地方を主としておこなわれる民間信仰おしら様」において、盲目の巫女「イタコ」が一対の木片(これを「おしら様」と称す)を祭日に遊ばせる際、「おしら祭文」が語られる[3]

一方、託宣が祭文のかたちをとってこんにちに残されたものとしては、伊豆諸島青ヶ島東京都青ヶ島村)に伝わる祭文や高知県に伝わる「いざなぎ流」の祭文(後述)がある[3]
古代「祝詞」および「祭文 (漢文)」も参照 「桓武天皇像」(延暦寺蔵)

神道の祭の際に神前で読む詞を「祝詞」と称したのに対し、仏教風ないし中国風の祭祀にあっては「祭文」と称することが多かった[4]。ただし、算博士の三善為康永久4年(1116年)に編したといわれる『朝野群載』にあっては、大祓の際にツミ・ケガレを祓うために唱えられた「中臣祓詞」(大祓詞)が「中臣祭文」と表記されている[4]。「中臣祓詞」ないし「中臣祭文」は、中臣氏が代々大祓の祝詞を宣(の)ることを生業としたために生まれた名であり、平安京朱雀門で奏上された[4]

「祭文」の語が史料にあらわれる最古の例は『続日本紀』であり[2]桓武天皇治下の延暦6年(787年)11月、天神河内国交野(現大阪府交野市)に祀った際の祭文2編である[1][4]


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