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出典検索?: "神"
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神(かみ)は、宗教信仰の対象[1]として尊崇・畏怖されるもの[2]。 「神」という字は古代中国で生まれ、元来は道教、儒教、古代中国思想に由来しているが、日本においては長らく神道における神を指す言葉であった。近世以降にキリスト教や西洋思想が伝来すると、古代ギリシア語: Θε?? テオスまたは古代ギリシア語: Ζε?? ゼウス、ラテン語: deus, Deus デウス、ドイツ語: Gott, 英語: god, Godなどにあたる外来語の訳語としても用いられるようになった。これらの意味と日本語における「神」は厳密には意味が異なるとされる。詳細は下記を参照。また、英語において、多神教の神々は"God"ではなく、頭文字を小文字にして"god"、複数形:gods、もしくは"deity 百科事典類の記述を紹介すると、『ブリタニカ国際大百科事典』では「宗教信仰の対象。」と説明されている[3]。そして、一般に絶対的、超越的な存在とされる、と指摘[3]。また、原始信仰では人間を超えた力と考えられていて、高度な宗教では超越的な力を有する人格的存在とされることが一般的、としている[3]。 『広辞苑』の第7版では6項目に分けて説明しており、一つ目は「人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知ではかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。」を挙げている。つづいていくつか日本の伝統での神を中心に説明しており、天皇の呼称のひとつとしての「神」にも触れ、6項目目に「キリスト教やイスラム教などの一神教で、宇宙と人類を創造して世界の運行を司る、全知全能の絶対者。」を挙げている。 『大辞泉』では、様々な概念に用いられる語彙、とし、「人知を超えた絶対的存在」(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)、「アニミズム的発想で自然界の万物を擬人化(神格化)した存在」、「神社に祭られている生前優れた業績で名を馳せた人物や祖先」、「天皇への尊称」、「優れた能力を発揮する人物、非常にありがたい人やもの」とした[4]。 どのような神を崇拝・信仰するかということによって、多神教、単一神教、一神教、等々の形が生まれる[3]。 神に対する人間の態度は、一般に「信仰」や「信心」と呼ばれている[3]。『ブリタニカ百科事典』によると、神学は信仰を理性的に理解しようとする試みである[3]。そして、近年では合理性をこえた原初の信仰を復興させる動きもあるという[3]。 漢字としての「神」には、「不可知な自然の力」「不思議な力」「目に見えぬ心の働き」「ずば抜けて優れたさま」「かみ」といった意味が含まれる[5]。 「神」は古代ギリシア語の"Θε??" テオスや英語の"God"の訳語としても使われている。このように「神」の字で、「神」と訳されることになった、もともと日本語以外の言語で呼ばれていたものごとまで含みうるわけなので、その指し示す内容は多岐にわたっている。(なお、キリスト教における"Θε??"や"God"を、中国語や日本語に翻訳する際に、「神」という字をあてることの是非について19世紀から議論がある(後述)。ただしキリスト教化される以前の古代ギリシャ時代の"Θε??"にも、訳語として「神」は用いられている。) 漢語の「神」という単語は、甲骨文字では仮借によって「申」という文字で表記されていた。後にこの文字に、区別のため意符「示」が加えられたことで、「神」の字の旧字体である「神」という文字が作られた[6]。 「神」の文字が初めて確認できるのは、西周早期に作られた青銅器「寧?」の銘文(金文)である[7]。 春秋左氏伝‐荘公三十二年で「神」は、国の興亡の分かれ目に、君主の善悪を見極め禍福を下す、聡明正直で純一な者として記されている[8][9][10]。 世界的に見ると、神を信じている人は多く(アブラハムの宗教だけでも30億人を超える[11])、神に基づいて自身の生活様式を整えている人、"神とともに生きている"と形容できるような人は多い。 神がどのような存在であるかについての様々な考え方は、宗教や哲学などに見ることができる。以下にその主なものを挙げる。これらの考え方がそれぞれに両立可能なのか不可能なのかは個人の解釈にもより、一概には言えない。 神の性質に関して、その唯一性を強調する場合 一神教、多元性を強調する場合 多神教、遍在性を強調する場合 汎神論が生まれるとされる。ただし汎神論はしばしば一神教、多神教の双方に内包される[要出典]。また、古代から現在まで神話的世界観の中で、神は超越的であると同時に人間のような意思を持つものとして捉えられてきた。近代科学の発展と無神論者からの批判を受け、このような神理解を改めるべきという意見[要出典]も現れている。 人知を超えた存在であると考えられることや、人間やその他の生物のように社会や自然の内に一個体として存在していることは観察できないことから、神の存在を疑う者も多い。現代科学においては想像上の概念を超えるものではなく、その物理的な実存については肯定されない。神の不在を信じる者は無神論者と呼ばれ、マルクス主義は無神論の立場に立つ。また、実存主義者の一部も無神論を主張する。 また神が存在するかどうかは知りえないことであると考える者は不可知論者と呼ばれる。 一神教の例としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教がある(これらはアブラハムの宗教である)。 いずれも、旧約聖書を経典とし、同一の神を信じている。ユダヤ教においてはモーセの時代にそれ以前の宗教から新しい体系が作り上げられたとされる。ユダヤ教を元に、イエス・キリストの教えからキリスト教が誕生し、さらにムハンマドによってイスラム教が生じた。 これら3つの宗教は唯一神教ではあるが、神以外にも人間を超えた複数の知的存在があることを認めている。天使が代表例であり、人間以上だが神以下の存在である(ただしイスラム教では、後に創造されたものであるほど優れているという考えがあるため、天使は人間に仕える存在という側面もある)。天使はあるときは普通の人の形をして現われたり、人とは違う形をして現われたりする。しかし「神の働き」は神だけが行うことができ、その他の存在は「神にお願いすること、執り成しができる」だけである。聖母マリアも、厳密には崇拝対象ではなく「崇敬」の対象であり、少なくとも教義上では区別している。聖母マリアはお願いをイエス・キリストに伝えてくれる存在ではあるが、神と同等の存在ではない。 またキリスト教では、聖人が特定の地域、職種などを守護したり、特定のご利益をもたらすとするという信仰がある。ただし、キリスト教のなかでもカトリックなどは聖人崇敬を行っているが、プロテスタント諸教派のなかには聖人崇敬を行わない教派もある。また、聖人崇敬を行う教派であっても、崇拝する対象はあくまでも神であり、神ではない聖人は崇敬の対象であり崇拝の対象ではない。イスラム世界ではジンという人間と天使の間に位置する精霊が想定されている(『千夜一夜物語』(アラビアン・ナイト)に登場する魔法のランプのジンが有名)。 実際、一神教内部においても例えばインドのように多神教を信仰している人々と共存している地域だと、一神教の人々も場合に応じて多神教の聖地を崇拝したり神格のようなものを認知することがしばしば行なわれる。無論一神教と多神教が両立不可能かというのは個々人の解釈にもよる問題であり、成文化された教義と現実的な宗教行為に齟齬が生まれることも多く、宗教と社会の関係は動態的に捉えなければ単純な図式化に陥る可能性が有る。 この節の正確性に疑問が呈されています。問題箇所に信頼できる情報源を示して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年3月) 「トーラー」の第1巻「ベレシート(キリスト教翻訳では創世記)」第1章では、天地創造の6日目までに登場する神の名は男性名詞複数形のエロヒーム(?????)のみである。また、第2章に記された天地創造の7日目もエロヒームのみである。[12] しかし、第2章における天地創造の詳述では、アドナイ(主)と読み替えて音読される「????」と、エロヒームが併記され、かれらは、草木とイーシュ(男)であるアダム(人)を創造して良し悪しの知識の木から取って食べてはならないと命じ、その後にアダム(人)からイシャー(女)を創造したことが記されている。[13] また、第三章では、イシャー(女)が蛇に促されて禁断の実を食べアダム(人)にも与えたので彼も食べたために、アドナイ(主)と読み替えて音読される「????」とエロヒームは、蛇がイシャー(女)の子孫のかかとを砕きイシャー(女)の子孫から頭を砕かれるように呪い、イシャー(女)には、苦悩と分娩を増やしに増やし苦痛の中で男児たちを産みイーシュ(男)に支配されると言い渡し、アダム(人)にも、顔に汗して食べ物を得ようと苦しむと言い渡し、土を呪ったことが記されている。そして、アドナイ(主)と読み替えて音読される「????」とエロヒームは、彼らの一人のようになったアダム(人)が命の木からも取って食べ永遠に生きないよう、アダム(人)をエデンの園から追い出し、また、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東に回されている燃える剣とケルビムを置いたことが記されている。[14] 「申命記・詩篇・箴言・知恵の書」などにおいて神を信じる人々のあるべき生き方が示され、サムエル記・列王記・マカバイ記・エステル記などにおいて神を信じた人々の生き方が示される。 なお、アドナイ(主)と読み替えて音読される「????」をそのまま声に出して読まない訳は、「神の名」を唱えてはいけないと伝えられている。
語源
概説
漢字の「神」「神」の字の旧字体「神」。
字源
初出
漢語「神」の初期の用例
神の性質についての様々な考え方
創造主(ギリシア語ではデミウルゴス)、第一原因としての神。全ての物事の原因を辿って行ったときに、全ての原因となる最初の創造(創世)行為を行った者として、想定される神。
アニミズム(汎霊説)における神。洞窟や岩石、山、水(泉、滝)など自然界の様々な物事(あるいは全ての物事)に固有の神。それらの物事に「宿っている」とされる。
守護神、恩恵を与える者としての神。神は信仰、犠牲、祈りなどに応じて現世や来世における恩恵を与えてくれる存在であるとする考え方。
人格神。神が人と同じような人格(や姿)を持つとする考え方。
現実世界そのものとしての神。この世界のありようがそのまま神のありようであるとする。例えばスピノザはこのような考え方を採った[要出典]ことで知られている。汎神論。
一神教の神「一神教」および「唯一神」も参照ミケランジェロの絵画「アダムの創造」の詳細。これは、アブラハムの宗教における神の一般的な描写である。
ユダヤ教の神
疑問点:各宗教・諸思想において解釈の別れる聖書の記述を、直接出典とすることへの疑義
「アドナイ(ヤハウェ)」も参照
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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