神風型駆逐艦_(初代)
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神風型駆逐艦(白露型駆逐艦)

基本情報
種別駆逐艦、後に三等駆逐艦・掃海艇
運用者 大日本帝国海軍
就役期間1905年 - 1928年
前級春雨型駆逐艦
次級海風型駆逐艦
要目
排水量常備381トン / 満載450トン[1]
全長72.0 m[1]
垂線間長69.2 m
幅6.6 m
吃水1.8 m
ボイラー水管ボイラー×4缶
主機レシプロ蒸気機関×2基
推進器スクリュープロペラ×2軸
出力6,000馬力
速力31ノット
航続距離850海里 (11kt巡航時)
燃料石炭90トン
(これに加え、浦波では重油15トン、
綾波・磯波は重油19.5トンを搭載)
乗員62名
兵装・40口径安式8cm単装砲×2門
・28口径安式8cm単装砲×4門
・45cm単装水上発射管×2基
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春雨艦型図。神風型はほぼ同一艦型。

神風型駆逐艦(かみかぜかたくちくかん、英語: Kamikaze-class destroyers)は、大日本帝国海軍が保有した駆逐艦の艦級[2]。本型が竣工した当時の日本海軍は、『○○型』等の『艦型』を書類上規定しておらず、艦艇類別等級表の改訂により、1926年(大正15年)12月1日附で正式に白露型駆逐艦(しらつゆがたくちくかん)と類別された[3]1928年(昭和3年)4月1日附で当時ネームシップの「白露」が除籍され[4]、同年8月1日附で第一号型駆逐艦神風型駆逐艦と命名された[5][6]。1番艦(潮)の就役開始は1905年(明治38年)7月15日[7]。退役完了は1930年(昭和5年)6月1日。
概要[ソースを編集]

最初に国産化された春雨型駆逐艦の改良型として1904年(明治37年)に建造が開始された。改良型とはいえ、基本設計は同じ国産の春雨型とほぼ同等であり、準同型艦と言った方が正しい。春雨型3隻(吹雪有明)を神風型駆逐艦にまとめている資料もある[8]日露戦争に備え明治37年度計画で25隻、明治38年度計画で4隻、明治39年度計画で3隻、計32隻という大量建艦がおこなわれたが戦争には間に合わず、竣工はすべて終戦後となった。建造所の内訳は、呉工廠(吹雪、霰、潮、子日)、横須賀工廠(有明、神風、初霜、弥生、如月、若葉、初雪、響)、川崎造船所(朝風、春風、時雨、初春、卯月)、佐世保工廠(夕暮、夕立、三日月、野分)、三菱造船所(白露、白雪、白妙、水無月)、舞鶴工廠(追風、夕凪、浦波、磯波、綾波)、大阪鉄工所(朝露、疾風)、浦賀船渠会社(長月、菊月)[9]

1912年(大正元年)8月28日附で実施された艦艇類別等級の改訂により、三等駆逐艦(600トン未満)に類別[10][11]。後日、一部は掃海艇に転用された[12][13]

1926年(大正15年)12月1日の段階で駆逐艦籍に残るのは2隻(白露、三日月)となり、これをもって正式に『白露型駆逐艦』と呼称された[3]。また掃海艇としては『潮型掃海艇』に類別[3]。その後、「潮」の除籍により掃海艇浦波型に改訂された[4]1928年(昭和3年)8月1日附で浦波型掃海艇は第七号型掃海艇(旧磯波)に類別された[5]。この頃までに本型は全艦駆逐艦籍から除籍されており、艦名は神風型駆逐艦 (2代)睦月型駆逐艦吹雪型駆逐艦初春型駆逐艦白露型駆逐艦陽炎型駆逐艦のそれぞれに継承された。
同型艦[ソースを編集]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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