神道
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神道
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国・地域 日本
信者数8792万4087人[1]
成立年不明(縄文時代から古墳時代にかけて原型が形成されたとされる)
創始者なし
信仰対象八百万の神
聖典正典なし[2]
母体民族信仰自然信仰祖先信仰
宗派下記神道諸派参照
主な指導者

天皇(大祭司)

氏子(住民自ら)による祭祀[3]

神職(神主・神官などの「祭司」)

聖地神社などの祭祀施設・などの自然物
教義具体的な教義なし
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樹齢約3000年の武雄神社御神木

神道(しんとう、しんどう[4])は、日本宗教。惟神道(かんながらのみち)ともいう。開祖教祖教典を持たず、森羅万象あらゆるものにが宿るという思想に基づく。神話八百万の神自然自然現象など、アニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[5]

自然は一体と認識され、人間を結ぶ具体的作法祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[6]
概要国産みを描いた『天瓊を以て滄海を探るの図』(小林永濯画、ボストン美術館所蔵)

神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。伝統的な民俗信仰自然信仰祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[7][8]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[9]。世の中の宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、神道の宗教名だけは「神道教」ではなく、単に「神道」となっている[注 1]

神道には確定した教祖、創始者がおらず[9]キリスト教聖書イスラム教コーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが[5]、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[10]森羅万象が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、天津神・国津神などの祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直 (じょうみょうせいちょく)(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[11]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。

日本人の生活と深い関わりのある神道は、当初から宗教として認識されていたわけではなく、仏教が大陸から伝来したのち、それまで日本国独自の習慣や信仰が御祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむながらの道(神道)」として意識されるようになった[12][13]。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられおり、『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる[14]

神道の特色の一つとして、外来の他宗教に対する寛容さが挙げられる。神道は仏教儒教道教などとも習合し日本文化に大きな影響を及ぼしたが、日本国独自の神観念は変わらず、現在まで脈々と受け継がれている[15]

神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が維持されている[16]。宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた[17]。明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた[18]

神道と仏教の違いについては、神道は地縁血縁などで結ばれた共同体部族など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や救済国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[7]

神道は日本国内で約8万5,000の神社が登録され、約8,400万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが[19]、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて氏子とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札などの呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する[20]
分類
皇室神道 (
宮中祭祀
皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の神道である[21]。新年の四方拝歳旦祭、五穀豊穣や国家・国民の安寧を祈る新嘗祭(天皇即位後初の新嘗祭は大嘗祭という)などが行われる[22]大嘗祭が斎行された令和の大嘗宮
神社神道
神社を中心に、氏子・崇敬者などによる組織によって行われる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である[23]
民俗神道
民間神道ともいう。民間で行われてきた信仰行事をいう。道祖神田の神山の神竈神など。修験道密教仏教、あるいは道教の思想と習合している場合も多い。いざなぎ流なども入る[要出典]。
教派神道(神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験にもとづく。創唱宗教的色彩が濃い[要出典]。
古神道(≒原始神道)
江戸時代の国学によって、儒教や仏教からの影響を受ける前の神道が仮構され、復古神道古道・皇学・本教などと称された。明治時代以降に古神道だけを取り出し、新たな宗派として設立されたものも古神道と称している場合がある。近代以降の学問で研究されて国学色を排除してからは、純神道・原始神道ともいう[要出典]。
国家神道
特に近代(明治維新より第二次世界大戦終結まで)において国家の支援のもとに行われた神道を指す名称であり[24][注 2]、事実上の国家宗教となっていた[27]。(国家神道#語誌を参照)

以上のような分類をすることができるが、今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指すことが多い[要出典]。

また、何に重きを置くかによって「祭り型」「教え型」という分け方も提唱されている。

祭り型神道(社人神道 - 儀礼を中心とする)
これは上記の「皇室神道」「神社神道」「民俗神道」などのことである。

教え型神道(学派神道 - 教学を中心とする)

神仏習合系 - 両部神道山王一実神道など

神儒習合系 - 儒家神道忌部神道理学神道伊勢神道(=度会神道)・垂加神道など

家元神道 - 唯一神道(=吉田神道)・土御門神道など

復古神道 - 平田篤胤大国隆正

国学系の教団 - 出雲大社教神道修成派など

霊学系の教団 - 神道天行居など


その他の新宗教

山岳信仰系 - 実行教御嶽教など

霊示系(創唱宗教) - 黒住教金光教天理教[注 3]大本など

大本系新宗教 - 生長の家世界救世教白光真宏会など

救世教系新宗教(いわゆる「手かざし」系) - 世界真光文明教団崇教真光ス光光波世界神団神慈秀明会など

キリスト教と習合した例 - かくれキリシタンの信仰。一部の新宗教の例(キリストの幕屋)。

その他 - 国外のシンクレティズム的な新興宗教やニューエイジ心霊主義において神道の神を自らが信じる神と同一視する場合がある。例:天道ラエリアン・ムーブメントなど。


以上のように分けられる[21]。なお、陰陽道系の土御門神道は上記の家元神道のひとつではあるが、教え型とも祭り型とも決められるものではない[要出典]。
歴史春日大社にて、おみくじを結ぶ人々一般家庭で祀られる神棚神社本庁東京都渋谷区代々木)詳細は「神道の歴史」を参照

神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念である。農耕文化の進展とともに、自然の威力に神霊の存在を見出し、その神霊を丁重に祭ることで自然の脅威を和ませ、農耕生活の安寧を祈るという神観念が生じたことが、神道の始まりであった[28]。このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている[13]

現在の神道・神社に直接繋がる祭祀遺跡が出土するのは、農耕文化の成立に伴って自然信仰が生じた弥生時代で、この時代には、荒神谷遺跡などに代表される青銅器祭祀、池上曽根遺跡のような後の神社建築と共通する独立棟持柱を持つ建物、鹿などの骨を焼いて占う卜骨、副葬品としての鏡・剣・玉の出土など、神社祭祀や記紀の神道信仰と明らかに連続性を持つ要素が見られるようになる[29]


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