神道大系
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神道大系(しんとうたいけい)とは、神道における古典籍を収録した叢書財団法人神道大系編纂会により、1977年(昭和52年)から1994年(平成6年)にかけて『神道大系』全120巻、1995年(平成7年)から2007年(平成19年)にかけて『続神道大系』全50巻が刊行された。
沿革

1927年(昭和2年)、井上哲次郎が、仏教大蔵経道教道蔵に倣い、神道に関する文献を網羅した『神道大蔵経』の編纂を提唱した。これは『大正新脩大蔵経』の編纂や、関東大震災による貴重書の亡失を意識したものともいわれるが、提案のみにとどまった[1][2]

1942年(昭和17年)、宮地直一の発案により、文部省国民精神文化研究所(のち教学錬成所)において『神道大系』の編纂計画が立ち上げられたが、刊行を見ずして敗戦により頓挫した[3][4][5]。このとき作成された書目は、のちに『神道大系』の編纂にあたって参考とされたが、法華神道関係の書目など、『神道大系』『続神道大系』に収録されなかった書目も含まれている[6]

1961年(昭和36年)、國學院大學日本文化研究所研究審議委員であった河野省三が、教学錬成所で計画されていた『神道大系』編纂の再興を提案した[7]。その後、宮地直一の門下で國學院大學教授の西田長男が計画を進め、1975年(昭和50年)5月頃、西田門下の西島一郎(総理府事務官宮内庁掌典職、國學院大學講師などを歴任)の仲介により、松下幸之助に面会して援助を取りつけた[8][9]

1975年(昭和50年)11月13日に神道大系編纂会が発足[注 1]、設立当初は任意団体であったが、1977年(昭和52年)3月16日に文部省所管の財団法人として認可され、1981年(昭和56年)3月20日に試験研究法人[注 2]の指定を受けた[11]。任意団体であった時期は、職員はおおむね松下電器産業からの出向の形であったが、試験研究法人移行後、佐川急便の創業者である佐川清からの大口寄付によって財政が賄われることになった[12]1989年(平成元年)4月に松下会長が死去したのちは後任の会長は置かれず、元松下電器産業常任顧問の小川鍛が理事長に就任した[13]

1977年12月、『神道大系』の第1回配本として『古事記』(小野田光雄校注)が刊行された[14]。1994年(平成6年)10月に『神道大系』全120巻と『総目録』が完成。続いて1995年(平成7年)3月から『続神道大系』の刊行が開始され、2007年(平成19年)3月に『続神道大系』全50巻と『総目録』が完成した[15]。印刷については土田直鎮の推薦で、精興社が一貫して担当した[16]

この間、1979年(昭和54年)、坂本太郎が中心となり、神道大系編纂会の下部組織として神道古典研究会が設立され、『神道古典研究 会報』(1979年10月 - 1993年12月、全15号)を刊行した[17]。『神道大系』正編完結後、研究・編纂・刊行に係る部署を総合して神道古典研究所が設立され、『神道古典研究所紀要』(1995年3月 - 2005年8月、全15号)が刊行された[18]

このほか神道大系編纂会では、『神道大系月報合本』上・中・下(2006年)、『神道古典研究所紀要合本』上・中・下(2007年)、『(財)神道大系編纂会 記念誌』(2008年)も刊行している[15]。なお、神道大系編纂会の設立目的には、『神道大系』の刊行のほかに、松下幸之助の要望で一般向けの『神道教養叢書』を刊行することも含まれていたが、立ち消えとなった[19]

2008年(平成20年)11月28日、神道大系編纂会は解散した[20]
構成

『神道大系』全120巻構成通号編内容校注出版収録文献備考
1首編1神道集成真壁俊信1981
水戸光圀神道集成
2首編2古今神学類編(上)岡田米夫1981真野時綱『古今神学類編』
3首編3古今神学類編(中)岡田米夫1985真野時綱『古今神学類編』
4首編4古今神学類編(下)岡田米夫1986真野時綱『古今神学類編』
5古典編1古事記小野田光雄1977太安万侶古事記
6古典編2日本書紀(上)中村啓信1983舎人親王日本書紀
7古典編3日本書紀(中)中村啓信1983舎人親王『日本書紀』
8古典編4日本書紀(下)中村啓信1983舎人親王『日本書紀』
9古典編5古語拾遺(附註釈)飯田瑞穂1986斎部広成古語拾遺
栗田寛『古語拾遺講義 稜威男健』


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