神谷 英樹
生誕 (1970-12-19) 1970年12月19日(53歳)
日本、長野県松本市
別名毒うずら[1]
職業ゲームデザイナー
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神谷 英樹(かみや ひでき、1970年12月19日 - )は、日本のゲームデザイナー。代表作は『バイオハザード2』、『デビルメイクライ』、『ビューティフル ジョー』、『大神』、『ベヨネッタ』シリーズ。 長野県松本市出身。1994年、杏林大学外国語学部英米語学科を卒業後、株式会社カプコンに入社[2]。『アーサーとアスタロトの謎魔界村』の開発を手伝った後、『バイオハザード』の開発に企画として参加する[3]。 1998年、初めてディレクターを務めた『バイオハザード2』は、496万本(国内200万本)の大ヒットとなる。その後、『デビルメイクライ』、『ビューティフルジョー』などのアクションゲームも開発している。 2004年、カプコン子会社(当時)クローバースタジオ株式会社に移籍。『大神』のディレクターとなる。クローバースタジオの解散・閉鎖に先立ち、2006年7月クローバースタジオを退職し稲葉敦志が設立したSEEDS株式会社に移籍。2007年10月、SEEDSと株式会社ODDが合併、商号をプラチナゲームズ株式会社に変更しプラチナゲームズ所属となる。 2016年、プラチナゲームズ執行役員に就任。 2018年、プラチナゲームズ取締役 執行役員に就任。 2021年9月、プラチナゲームズ専務取締役 執行役員に就任。 2022年7月、プラチナゲームズ取締役副社長 執行役員に就任。 2023年10月12日をもって、プラチナゲームズを退社することがXにて報告された[4][5][6]。 退職の日と同時に自身のYouTubeチャンネルを開設。 今後もゲーム開発は続けていくとしているが、競業避止義務によりしばらくは就業できないことを語っている[7]。
経歴
作品
バイオハザード(1996年3月22日、カプコン、PS)プランナー
アーサーとアスタロトの謎魔界村(1996年8月30日、カプコン、PS・SS)
バイオハザード2(1998年1月29日、カプコン、PS)ディレクター
デビルメイクライ(2001年8月23日、カプコン、PS2)ディレクター
バイオハザード0(2002年11月21日、カプコン、GC)オリジナルゲームデザイン
ビューティフル ジョー(2003年6月26日、カプコン、GC)ディレクター
ビューティフル ジョー2 ブラックフィルムの謎(2004年12月16日、カプコン、GC・PS2)ストーリー
ビューティフル ジョー スクラッチ!(2005年10月2日、カプコン、DS)ストーリー・スーパーバイザー
大神(2006年4月20日、カプコン、PS2)ディレクター・ストーリー
ベヨネッタ(2009年10月29日、セガ、X360・PS3)ディレクター・ストーリー
The Wonderful 101(2013年8月24日、任天堂、Wii U)ディレクター・ストーリー
The Wonderful 101 Remastered(2020年5月19日、プラチナゲームズ、Nintendo Switch、PS4、PC)スーパーバイザー
ベヨネッタ2(2014年9月20日、任天堂、Wii U)スーパーバイザー・ストーリー
ASTRAL CHAIN(2019年8月30日、任天堂、Nintendo Switch)スーパーバイザー
ソルクレスタ(2022年2月22日、プラチナゲームズ、Nintendo Switch、PS4、PC)総監督・ストーリー
ベヨネッタ3(2022年10月28日、任天堂、Nintendo Switch)スーパーバイジングディレクター・ストーリー
ベヨネッタ オリジンズ: セレッサと迷子の悪魔
備考
『ビューティフル ジョー』でシックスマシンの声を担当した。また、『逆転裁判3』ではゴドー検事の声を担当。なお、逆転裁判シリーズのディレクターである巧舟はカプコン時代の同期であり、神谷がプラチナゲームズに移籍した現在でもプライベートで酒を酌み交わす友人でもある。
舞台化がきっかけで、宝塚を鑑賞するようになったという。[8]
「続編を作らない主義」「カプコンを追い出された」という噂が流れたことがあった。これは本人が明確に否定している[9][10]。
熱心なオールド/クラシックゲームフリークとしても有名[11]。2019年にはアーケードアーカイブス『忍者くん 魔城の冒険』キャラバンモードで記録した158680点がギネス世界記録として認定された[12]。
出典[脚注の使い方]^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}神谷英樹 Hideki Kamiya [@PG_kamiya] (2019年2月15日). "「お前んとこの口の減らない毒うずらの情報漏洩は大丈夫だろうな?」的な念押しがあったと聞いて..." X(旧Twitter)より2019年2月22日閲覧。
^ 後藤勝『カプコン 電子の猛者たち ゲーム世紀に生きる32人へのインタビュー集』エンターブレイン、2000年。ISBN 4-7577-0054-7。
^ ⇒HIDEOBLOG HIDECHAN! ラジオ 第81回(2006年7月3日)
^ 「『ベヨネッタ』神谷英樹プラチナゲームズ副社長が退社を発表。今後は「自分らしい物作りを目指します」とゲーム作りは続ける意向