かみや あきら
神谷 明
プロフィール
本名神谷 明[1][2][3][4]
愛称明くん[5]、神谷ちゃん[6]
性別男性
出身地 日本・神奈川県横浜市[7]
生年月日 (1946-09-18) 1946年9月18日(77歳)
血液型A型[8]
職業声優、俳優、歌手、ナレーター[9]
事務所有限会社 冴羽商事[7]
代表取締役 神谷 明
配偶者戸部光代[10][11]
著名な家族華宮ゆう士(長女)
神谷たえ(次女)
公式サイト神谷明オフィシャルブログ「神谷明の屁の突っ張りはいらんですよ!!」
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重163 cm / 55 kg
声優活動
活動期間1970年 -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
デビュー作千吉
(『魔法のマコちゃん』)[10]
俳優活動
活動名義山田一郎(別名義)
活動期間1970年 -
ジャンル舞台、テレビドラマ、映画
音楽活動
職種歌手
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神谷 明(かみや あきら、1946年〈昭和21年〉9月18日[7][10][12][13] - )は、日本の声優、俳優、歌手、ナレーター[9]、元日本工学院専門学校声優・俳優科講師[14][15]。神奈川県横浜市出身[7]。
妻は元声優の戸部光代[10][16]、長女はシナリオライターの華宮ゆう士[17]、次女はミュージカル女優の神谷たえ[18][19]。有限会社冴羽商事代表取締役[7]。 幼少期、父親が営んでいた家具製造工場が倒産したことで両親が離婚[10]。母親に引き取られ、母と弟[20]一人の家庭に育つ[12]。その頃、アニメより漫画本に熱中していたという[21]。必死で働く母を助ける日々だったため学校も転々とする中(親の離婚後から鶴見区で暮らした後、小学5年生の時に蒲田に転居[22])、横浜市立青木小学校、東台小学校から転入した東京都大田区の相生小学校の大先輩に俳優の小沢昭一が居たことが神谷を演劇の道へと向かわせることとなった[10]。 その後、御園中学校を経て[23]「高校を卒業したら自分が働いていて家族を支えよう」との思いから[22]東京都立芝商業高等学校へ入学[20]。高校1年生の時に、珠算部に所属していたが、友人に「メンバーが足りないから」と誘われ演劇部に入部した際、「神谷って良い声してるよな」と言われたことがきっかけで俳優を目指す[14][20][24][注釈 1]。なお、この時同じ学校の同級生で、同じく演劇部に所属していた部員に、後に神谷が声優業界に誘う事になる声優の佐藤正治がいた[25][26]。 高校卒業後、飲食店勤務や歌手の付き人を経て、横浜の劇団「かに座」へ入団[10][20][12]。アマチュア劇団だったため平日は会社に勤め土日に活動するが、改めてプロになりたいと考えたことで、1970年に劇団テアトル・エコーへ入団[14]。このことを、将来の展望もなしに飛び込んでしまったが、そういう意味では、兄弟、親には、「ずいぶん精神的な負担をかけたんじゃないかな」と語る[24]。テアトル・エコーは声優としても活動する人物が多く、その流れで神谷も声優としての活動を開始した[3]。後に「ほかの劇団に入っていたら、30歳前に辞めていると思うんです」と語っている[27]。事務所はその後、青二プロダクション[28][29]、ぷろだくしょんバオバブ[30]、東京俳優生活協同組合[31]、アップス[21][32]、青二プロダクション[2]、コアミックス[33]を経てフリーとなり、現在は有限会社冴羽商事代表取締役[7]。
来歴
デビューまで