人口7,474人、面積381.98km²、人口密度19.6人/km²。(2024年4月1日、推計人口)
以下の1町を含む。 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。 郡名の由来としては神事が行われた土地を意味するというものや、古代日本語で「石の多い谷」の意とするものがありはっきりしていない。古代には「かめし」と発音された。 知行村数村名
神石高原町(じんせきこうげんちょう)
郡域
庄原市の一部(東城町新免・東城町三坂)
神石高原町の大部分(桑木・階見および父木野・坂瀬川の各一部を除く)
歴史
近世以降の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は倉敷代官所が管轄。(38村)
幕府領幕府領1村古川村
藩領備後福山藩15村時安村、坂瀬川村、亀石村、大矢村、井関村、近田村、花済村、上野村、李村、上豊松村、中平村、東有木村、西有木村、小野村、笹尾村
豊前中津藩22村安田村、西油木村、東油木村、下豊松村、新免村、三坂村、永野村、草木村、阿下村、光信村、小畠村[1]、常光村、光末村、父木野村、上村、高蓋村、木津和村、田頭村、福永村、牧村、高光村、相渡村
慶応4年5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。
明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が福山県、中津県の管轄となる。
11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により、全域が深津県の管轄となる。
明治5年6月5日(1872年7月10日) - 深津県が改称して小田県となる。
明治8年(1875年)(36村)
12月20日 - 岡山県の管轄となる。
西油木村・東油木村が合併して油木村となる。
東有木村・西有木村が合併して有木村となる。
明治9年(1876年)4月18日 - 広島県の管轄となる。
明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての神石郡が発足。郡役所が小畠村に設置。
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。[ ]は合併した村。特記以外は全域が現・神石高原町。(30村)
油木村[油木村・安田村]、来見村[坂瀬川村・時安村・井関村・大矢村]、上野村、近田村、花済村、李村、小畠村、上村、阿下村、常光村、亀石村、上豊松村、下豊松村、中平村、有木村、笹尾村、小野村
新坂村 [新免村・三坂村](現・神石高原町、庄原市)
永渡村[相渡村・永野村]、高光村、古川村、牧村、草木村、福永村、田頭村、高蓋村、木津和村、父木野村、光末村、光信村
明治30年(1897年)7月11日(23村)
上野村・近田村・花済村・李村が合併して仙養村が発足。
上豊松村・下豊松村・中平村・有木村・笹尾村が合併して豊松村が発足。
明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。「芦品神石甲奴郡役所」が芦品郡府中町に設置され、同郡・甲奴郡とともに管轄[要出典]。油木村に郡役所が置かれる[注釈 1]。
大正6年(1917年)8月1日 - 油木村が町制施行して油木町となる。(1町22村)
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。