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出典検索?: "神田康秋"
かんだ やすあき神田 康秋
プロフィール
出身地 日本 広島県安芸郡府中町
生年月日 (1951-09-24) 1951年9月24日(72歳)
最終学歴東洋大学社会学部
所属事務所みづま工房(キャスティング事業を委託)
職歴テレビ新広島アナウンサー → テレビ新広島 局長 → tssプロダクション常務取締役 → テレビ新広島 常勤顧問 → フリーアナウンサー
活動期間1975年4月1日[1] -
担当番組・活動
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
神田 康秋(かんだ やすあき、1951年9月24日[1] - )は、フリーアナウンサー(みづま工房にキャスティング事業を委託)。テレビ新広島の元アナウンサー。広島県安芸郡府中町出身。広島県立海田高等学校、東洋大学社会学部卒業後、1975年、テレビ新広島の開局とともに入社した。系列局の同期入社に元フジテレビアナの堺正幸、酒井ゆきえ(現・タレント)、田丸美寿々(現・ニュースキャスター)、和田圭(元記者)、伊藤治明 (元北海道文化放送)、浅見博幸(元仙台放送)、小笠原和人、坪郷佳英子(共に元福島テレビ)がいる。 小学生の頃は合唱団に入り活動、そこで周りから「声がいいね」と言われたこともあって、その頃からアナウンサーになる夢を持つ[2]。大学入学時に、自身の憧れでもあったみのもんたに弟子入り志願をするためとして文化放送に会いに行ったことがあり、そこでみのに会えて「僕は弟子は取らないんだ。でもありがとう」と言われてサインをもらったという(みのとは、後に『プロ野球ニュース』の仕事で再会している)[2]。アナウンサー試験では、フジテレビは最終選考で落選となったが、そこで当時開局準備を進めていたテレビ新広島の受験を勧められて合格する[2]。 1975年4月1日の入社[1]以来、プロ野球やサッカー、バレーボール、陸上競技など14種類のスポーツ中継実況を担当。1986年には広島東洋カープの優勝実況を担当した。この時は対ヤクルトのビジターゲーム(フジテレビ制作全国ネット)のため、広島のベンチリポートを担当していたが、優勝決定の場面は交代して実況した。1989年にはワールドカップバレーボール・日本対アメリカ戦での実況が世界最優秀放送賞を受賞、1992年にはプロ野球ニュースのキャスターを務めた。また、1995年のワールドカップバレーでは「絶叫アナウンサー1号」として開幕戦の実況を担当。V6がバレーコートで歌い踊るシーンから始まり、実況する画期的な中継となった。嵐がデビューした1999年も同様に実況を担当する。 プロ野球中継では、年3試合程の対読売ジャイアンツ戦は必ず実況を担当した。
来歴・人物