神田古書店街
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神田古書店街靖国通りの南側には古書店が立ち並ぶすずらん通りの学生たち(1930年頃) 1967年の神田古書店街

神田古書店街(かんだこしょてんがい、神田神保町古書店街とも)は、東京都千代田区神田神保町一帯の古書店などが密集する地区。地名から単に神田、または神保町とも呼ばれる。世界最大の古書店街、古本の聖地とも言われる[1][2][3]。古書店の数は130軒[1]、180軒[2]、少なくとも400軒[3]と諸説ある。

岩波書店小学館などの大手から中小に至る出版社印刷所、新刊を扱う一般書店の他に、明治大学日本大学など大学、学術関係の施設もあり、これらが一体となって本の街を形作っている。
歴史・概要

神田古書店街は、明治初期の1880年代にこの地域に相次いで創立された法律学校、明治法律学校明治大学)、英吉利法律学校中央大学)、日本法律学校日本大学)、専修学校専修大学)の学生を当て込んで、古書店も含めた法律書の書店が次々に開店したのに始まる[4]野田宇太郎は『東京文学散歩』で「神田の古書街は明治時代の学校出現と共に始まった」と記している[5]。年度替わりには上級生らが授業で使い終えた教科書を売り、新年度に下級生らが教科書を求めて古書店に買いに来る、というやり取りが文化として発展した[5]

太平洋戦争中、神保町も米軍空襲を受け大きな被害を受けたが、靖国通り東京都道302号新宿両国線の一部)沿いの古書店街は空爆による被災を免れている[6]。これは米軍が貴重な古書を守るために古書店街の空爆を避けたという説もある[6]司馬遼太郎は『街道をゆく』で、「エリセーエフ教授はマックアーサー将軍に進言して、神田神保町を目標から除外するよう忠告したといわれている」と記している[7]。野田宇太郎もこの説を支持しているが、真偽は明らかでない[8]千代田区文化財事務室学芸員の長谷川怜は、靖国通りと皇居日本橋川によって延焼が防がれたとともに、当日の風向きも焼失を防ぐことに寄与したのだろうと推測している[8]。戦前から発展した神田古書店街は戦後もその賑わいを継続することになった[7]

大学の学部の多様化にあわせて各専門書店が増加した。神田古書店街の古書店はそれぞれが専門分野を持っており、しかもその分野が、文学哲学社会科学演劇サブカルチャー[9]軍事戦記[10]自然科学洋書文庫本などバラエティに富んでいる。神保町に近い神田駿河台下には古書市会場などに使われる東京古書会館がある[11]ほか、毎年秋には古書市神田古本まつりが行われている。

地区内の古書店には都内の古書の約三分の一が集約していると言われる。 古書店の多くは靖国通り沿いに在り、それら多くは通りの南側に即ち北向きに建っている。これは日光が当たって本が傷むのを防ぐためである。靖国通り開通以前のメインストリートだった神保町すずらん通り沿いの古書店もほぼ北向きに立っている。三省堂書店もかつてはすずらん通り側(「けやき広場」側)が正面となっていた。

また、古書店から漂う独特の香りが2001年には環境省選定のかおり風景100選にも選ばれている。
所在

東西は駿河台下交差点から専大前交差点までの靖国通り沿い、そこから南へ一筋に並行する、飲食店・一般商店も並ぶの神田すずらん通り沿い、南北は神保町交差点からJR水道橋駅東口までの白山通り沿いにほとんどの店舗が集中している。

住所としては、神田神保町神田小川町西神田等であり、JR神田駅からは1kmほど離れている。歴史的な広域地名としての神田は「神田 (千代田区)」「神田区」を参照。
書籍の流通

神田古書店街を介した書籍の流通は、古書店の仕入れ‐販売という中心的営みに注目すると、次のようにまとめられる。神田の古書店の行う仕入れには、東京古書会館(千代田区神田小川町3-22)での専門市場における他の古書店の出品物への入札を通じた買い入れが一つにある。もう一つに、個人からの買い入れとして、蔵書処分者個人宅への訪問による蔵書の査定、処分者の直接の来店、処分者の古書店への送付蔵書リストによる査定、などを通じたものがある。このようにして仕入れた書籍は、各古書店の倉庫・店舗において保管される。そして、各店作成の目録、「日本の古本屋」「BOOK TOWN じんぼう」などの古書専門の検索通販サイトや、各店ホームページにおける出品、などを通じた、個人や大学図書館への販売が行われる。また仕入れ書籍の中にお店の専門外のものがある場合などには、専門市場に出品・取引される。近年「BOOK TOWN じんぼう」で一部在庫が検索できるようになったがそれでも神田古書店街全体の在庫はその20倍以上ある。
神田古書店街に関わる作品

世界最大の古書店街であるだけに、街が形成された明治初期以降今日まで、多くの文学作品に登場している。
小説


スプートニクの恋人』(村上春樹

『神保町の怪人』(紀田順一郎)

コミック


邪神ちゃんドロップキック』(ユキヲ

『百木田家の古書暮らし』(冬目景

主な町史


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