神田三崎町
町丁
JR水道橋駅西口(2016年6月2日)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}神田三崎町神田三崎町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分2.51秒 東経139度45分14.17秒 / 北緯35.7006972度 東経139.7539361度 / 35.7006972; 139.7539361
国 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域神田地域
面積[1]
? 合計0.1702 km2
人口(2023年(令和5年)5月1日現在)[2]
? 合計946人
? 密度5,600人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号101-0061[3]
市外局番03[4]
ナンバープレート品川
神田三崎町(かんだみさきちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示実施済み。現行行政地名は神田三崎町一丁目から神田三崎町三丁目。郵便番号は101-0061[3]。 東京都千代田区の北部に位置する。一丁目から三丁目が東から西に配される。北部は神田川に接し、これを境に文京区後楽・本郷にそれぞれに接する。東部は千代田区神田猿楽町に接する。南部は千代田区西神田に接する。西部は日本橋川に接し、これを境に、千代田区飯田橋に接する。交通面では水道橋駅の駅前であり、商業地としてオフィスビルや商店が多いほか、大学などの教育施設も多く見られる区域である。 1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、「三崎町」の町名が付けられたが、猿楽町とともに「神田」を冠称した「神田三崎町」への町名変更を求める住民運動が起き、2014年(平成26年)10月15日に千代田区議会で町名変更の議案が可決され、2018年(平成30年)1月1日より「神田三崎町」の名称が復活した[5]。しかし、「神田三崎町」の名は、1947年(昭和22年)3月15日に旧神田区と旧麹町区が合併して千代田区が誕生してから住居表示を実施するまでの約20年使われたに過ぎない名称であり、伝統的な名称ではないとして反対する意見もある[6][出典無効]。 江戸開府以前は当該町域は三崎村と呼ばれた。三崎村の名称は、日比谷入江に突き出した「ミサキ(岬)」だったことに由来する[7]。江戸時代に徳川家康をはじめとする歴代の将軍が城下町として開発し、大名や旗本の武家屋敷が立ち並ぶ町となり、江戸時代を通じて小川町と呼ばれていた。1860年(安政7年)2月、越後長岡藩牧野備前守上屋敷とその周辺が上知されて幕府の講武所が設けられた[8]。1866年(慶応2年)11月に講武所は廃止され、陸軍所が吸収。明治維新後は陸軍練兵場として使用された。1872年(明治5年)に東京府下の町が新町名に改称した際に、当該町域も「三崎町」と改称した[9]。 その後、1890年(明治23年)3月に陸軍練兵場跡地2万2717坪(約7.6ヘクタール)は丸の内とともに三菱社に128万円(当時)で払い下げられ、跡地の開発が始められた。丸の内がオフィス街に開発されたのと違い、三崎町は市街地として開発された[10]。当時の三崎町は一丁目?三丁目があり、三崎町一丁目は現在の神田三崎町一丁目にほぼ相当し、三崎町二丁目は現在の三崎神社通り以東の区域、三崎町三丁目は現在の三崎神社通り以西の区域で、三崎町三丁目は1番地のみ存在した[11]。 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災では当町域の被害は著しく、当町域の震度は震度7と推定されている[12]。震災復興再開発事業による区画整理に伴い、1934年(昭和9年)に三崎町一丁目と三崎町二丁目を統合して三崎町一丁目に[7]、三崎町三丁目が三崎町二丁目となった。 1947年(昭和22年)3月15日に神田区と麹町区が合併して千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更が行われ、当該町域も「神田三崎町」となった。1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、旧来の町名である「三崎町」に戻されたが、2018年(平成30年)1月1日に再度「神田三崎町」に町名変更されている。 住居表示を実施するにあたり、1966年(昭和41年)9月22日の第12回住居表示審議会において、住居表示実施前の神田三崎町を含む地域を「西神田一丁目?五丁目」とする決議が行われたが、千代田区議会における議決直前に、三崎町町名存続を求める陳情書が提出された。同年10月4日の第三回区議会定例会で、陳情の不採択及び「町の区域及び名称の変更について(西神田一丁目?五丁目)」の議決が行われたが、三崎町町名存続運動を受けた千代田区長からの再提案を受けて、同年11月21日の第14回住居表示審議会で再度審議され、「西神田一丁目?三丁目、三崎町一丁目?三丁目」とする決議が行われた。翌11月22日の第4回区議会定例会で「町の区域及び名称の変更について(西神田一丁目?三丁目、三崎町一丁目?三丁目)」の変更・再議決が行われ、1967年(昭和42年)4月1日に三崎町地域は三崎町一丁目?三丁目となった[13]。 住居表示実施後実施年月日住居表示実施前(各町名ともその一部)[15] 町名変更後変更年月日町名変更前(丁目・番・号の変更なし)[15] 2023年(令和5年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 丁目世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[16]。なお、千代田区の中学校では学校選択制を導入しており、区内全域から選択することが可能[17]。 丁目番地小学校中学校
地理
歴史1938年頃の三崎町停留所
沿革
1967年(昭和42年)4月1日 - 住居表示を実施[14]。
2018年(平成30年)1月1日 - 町名変更に伴い「神田」を冠称[5]。
町名の変遷
三崎町一丁目1967年4月1日神田三崎町一丁目[注釈 1]、神田駿河台二丁目[注釈 2]
三崎町二丁目神田三崎町一丁目[注釈 3]、神田三崎町二丁目[注釈 4]
三崎町三丁目神田三崎町二丁目[注釈 5]
神田三崎町一丁目2018年1月1日三崎町一丁目
神田三崎町二丁目三崎町一丁目
神田三崎町三丁目三崎町二丁目
世帯数と人口
神田三崎町一丁目13世帯23人
神田三崎町二丁目253世帯491人
神田三崎町三丁目292世帯432人
計558世帯946人
小・中学校の学区
神田三崎町一丁目全域千代田区立お茶の水小学校千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校
神田三崎町二丁目全域
神田三崎町三丁目全域
施設日大経済学部本館手前:日本大学経済学部7号館、奥:東京歯科大学水道橋校舎新館
神田三崎町一丁目
東部。白山通りと錦華通りの間に挟まれた区域。各種オフィス・学校が多数立地している。
日本大学経済学部本館
大原学園(大原予備校)
TAC水道橋校
東洋高等学校
メニコン東京・水道橋ビル
日本基督教団三崎町教会
代々木アニメーション学院東京校
庭のホテル 東京
神田三崎町二丁目
中部。白山通りと水道橋西通りの間にはさまれた区域。地域内を三崎神社通りが通っている。各種ビル・商店や学校が見られる。
日本大学法学部(神田三崎町キャンパス:本館・2号館・4号館・5号館・6号館・10号館・11号館・13号館・15号館)
日本大学経済学部(7号館)
日本大学大学院法務研究科(旧日本大学通信教育部1号館を流用)
東京歯科大学(水道橋キャンパス・水道橋病院)
LEC東京リーガルマインド水道橋本校
TAC本社・水道橋校
東京法科学院専門学校
ドワンゴクリエイティブスクール
理研ビタミン本社
鉄建建設本社
三省堂本社
三崎稲荷神社
株式会社伊藤ガラス
神田三崎町三丁目
西部。水道橋西通りと日本橋川の間に挟まれた区域。学校・オフィスのほか出版社が多く立地している。
東京アニメーター学院
内海学園東京学院
ニチレイ水道橋ビル
倫理研究所
人文社
少年画報社(建て替えの為、西神田2丁目の旧ジャパンライフビルに移転中)
芙蓉総合リース本社
造船会館
風水神田三崎ビル
交通
鉄道
JR東日本水道橋駅(■中央・総武線(各駅停車))
道路
東京都道301号白山祝田田町線(白山通り)
水道橋西通り
三崎神社通り
首都高速道路・出入口
首都高速5号池袋線
橋
水道橋
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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