神田三崎町
町丁
JR水道橋駅西口(2016年6月2日)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分2.51秒 東経139度45分14.17秒 / 北緯35.7006972度 東経139.7539361度 / 35.7006972; 139.7539361
国 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域神田地域
面積[1]
? 合計0.1702 km2
人口(2023年(令和5年)5月1日現在)[2]
? 合計946人
? 密度5,600人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号101-0061[3]
市外局番03[4]
ナンバープレート品川
神田三崎町(かんだみさきちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示実施済み。現行行政地名は神田三崎町一丁目から神田三崎町三丁目。郵便番号は101-0061[3]。 東京都千代田区の北部に位置する。一丁目から三丁目が東から西に配される。北部は神田川に接し、これを境に文京区後楽・本郷にそれぞれに接する。東部は千代田区神田猿楽町に接する。南部は千代田区西神田に接する。西部は日本橋川に接し、これを境に、千代田区飯田橋に接する。交通面では水道橋駅の駅前であり、商業地としてオフィスビルや商店が多いほか、大学などの教育施設も多く見られる区域である。 1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、「三崎町」の町名が付けられたが、猿楽町とともに「神田」を冠称した「神田三崎町」への町名変更を求める住民運動が起き、2014年(平成26年)10月15日に千代田区議会で町名変更の議案が可決され、2018年(平成30年)1月1日より「神田三崎町」の名称が復活した[5]。しかし、「神田三崎町」の名は、1947年(昭和22年)3月15日に旧神田区と旧麹町区が合併して千代田区が誕生してから住居表示を実施するまでの約20年使われたに過ぎない名称であり、伝統的な名称ではないとして反対する意見もある[6][出典無効]。 江戸開府以前は当該町域は三崎村と呼ばれた。三崎村の名称は、日比谷入江に突き出した「ミサキ(岬)」だったことに由来する[7]。江戸時代に徳川家康をはじめとする歴代の将軍が城下町として開発し、大名や旗本の武家屋敷が立ち並ぶ町となり、江戸時代を通じて小川町と呼ばれていた。1860年(安政7年)2月、越後長岡藩牧野備前守上屋敷とその周辺が上知されて幕府の講武所が設けられた[8]。1866年(慶応2年)11月に講武所は廃止され、陸軍所が吸収。明治維新後は陸軍練兵場として使用された。1872年(明治5年)に東京府下の町が新町名に改称した際に、当該町域も「三崎町」と改称した[9]。
地理
歴史1938年頃の三崎町停留所