神現祭(ギリシア語: Θεοφ?νια, ロシア語: Богоявле?ние, 英語: Theophany)は、ギリシャ語の原義は神が人類に現れる祭りで [1] 、東方教会の正教会での十二大祭の一つの名称。西方教会では宗派により「公現祭」、「顕現祭」などと呼ばれる。祭日は1月6日(ユリウス暦を使用する正教会では1月19日に相当)。
古来、いろいろな宗教で神は様々な形で人間に表れている。 ギリシャ神話では、テオファーニア(Θεοφ?νια)には主神ゼウスの息子が冬に暮らしていた理想郷「ヒュペルボレイオス」から毎年春に戻り、デルポイで神々の像が展示された。こうした状況は、その後のローマ神話でも繰り返されている。 ユダヤ教の聖書「タナハ」では、唯一の神が様々な場面で人類へ現れている。神はアダムとイブを作り、モーゼに表れて「十戒」をさずけ、預言者イザヤなどを通して人々に語り掛けた。 ユダヤ教を様々な意味で受け継いだキリスト教では、ギリシャ教父のひとりで聖書学者のエウセビオスは『神の現れについて』(Peri theophaneias)で、イエスの受肉について論じている。 イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の洗礼を記憶することから主の洗礼祭とも呼ばれる[2]。祭日は1月6日(ユリウス暦を使用する正教会では1月19日に相当)[3]。 イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の洗礼と、至聖三者の顕現を祝う。後者の意義は、主の洗礼の際に天から神父(かみちち:至聖三者のうちの「父なる神」)の声が聞こえ、聖神(聖霊)が鴿のかたちでくだったという福音書の記述による[4]、 4世紀に西方教会に伝わり、現在の公現祭(顕現日などとも)となったが、西方教会では主の洗礼の意味は失われ、東方の博士の来訪が記念の中心となり、異邦人に対する主の顕現として祝われるようになった[5]。 この祭りで記憶される内容として以下が挙げられる。 聖書の箇所は以下の通りである[4]。 神現祭に大聖水式を行なう習慣がある。聖堂内もしくは屋外に用意されたタンクに水を満たし、水の中に十字架を浸して十字を画き、水の成聖(せいせい)を行うものである。こうして成聖された水は聖水と呼ばれ、信徒達に分け与えられる。神品 (正教会の聖職)が手近な水辺(海、川、湖、池、プール、貯水池など)に赴き、同様の大聖水式を行うこともある。 神現祭以外の日にも聖水が不足してきた際に適宜行われるものとして小聖水式があるが、大聖水式は神現祭でのみ行われるものである。 神現を記憶する聖堂、修道院も数多く存在する。 西方教会のカトリックとそれから派生したプロテスタントでは一般に、異邦人(非ユダヤ人)である東方の三博士に救い主イエスが現れた日として祝い、祭日は1月6日。 プロテスタント所教会では、1月6日に「顕現日」、「主顕日」などと呼んで、異邦人(非ユダヤ人)である東方の三博士に救い主イエスが現れた日として祝う。 プロテスタント福音派のロン・ローズ(Ron Rhodes)などは、旧約聖書にしばしば現れる天使は、受肉前のイエスであると説明している。 ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ神の現れを「アヴァターラ」、すなわち「化身」、「権現」と呼んでいる。ヴィシュヌの最も人気あるアヴァターラはクリシュナである。
目次
1 ギリシャ神話
2 ユダヤ教
3 キリスト教
3.1 正教
3.2 カトリック
3.3 プロテスタント
4 ヒンドゥー教
5 脚注
6 外部リンク
ギリシャ神話
ユダヤ教
キリスト教
正教「聖水式」および「神現修道院」を参照
至聖三者の顕現(洗礼を受けるイイスス、鴿のかたちで降った聖神、天からの声で示された父なる神)[4][6]
本来洗礼を必要としない、真の神でもあり真の人でもあるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は、謙遜によって洗礼を受けることで、人々に洗礼を受ける模範を示した[6]。
本来洗礼を必要としない、真の神でもあり真の人でもあるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は、ヨルダン川の水に入って洗礼を受けることで、水を聖にした[2][4]。
マトフェイ福音(マタイによる福音書) 3章
マルコ福音 1章1節 - 9節
ルカ福音(ルカによる福音書) 3章21節 - 22節
イオアン福音(ヨハネによる福音書) 1章31節 - 34節
大聖水式でタンクの水を成聖するモスクワ総主教アレクシイ2世
カトリック詳細は「公現祭」を参照
プロテスタント詳細は「公現祭」を参照
ヒンドゥー教
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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