神波憲人
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この項目では、歌手グループの野猿について説明しています。ロープウェイの一種の野猿については「索道#野猿・吊舟」を、野生の猿については「サル」を、東京都多摩地域にある、「野猿」と付く街道名(道路の通称名)については「野猿街道」をご覧ください。
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野猿
出身地 日本
ジャンルJ-POP
活動期間1998年 - 2001年
レーベルavex trax
共同作業者秋元康(作詞)
後藤次利(作曲)
石橋貴明(プロデュース)

メンバー石橋貴明
木梨憲武
平山晃哉
神波憲人
成井一浩
飯塚生臣
大原隆
網野高久
星野教昭
半田一道
高久誠司

旧メンバー神原孝
(1998年?1998年5月21日)
太田一矢
(1998年?1998年8月20日)

野猿(やえん)は、フジテレビのバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』にて結成された、音楽ユニット。1998年4月29日にデビューし、2001年5月13日をもって「撤収」という名目で解散。
概要

テレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』にて企画されたユニット。当初、番組内コーナー「ほんとのうたばん」の中で、とんねるずがKinKi Kidsのパロディを演じる際のバックダンサーとしてスタッフが踊ったものだったが、これによりユニットとしての野猿が結成された。

メンバーは同番組スタッフの平山晃哉(アクリル装飾)、神波憲人(衣装)、成井一浩(大道具)、飯塚生臣(特殊効果)、大原隆(大道具)、網野高久(持道具)、星野教昭(運転手)、半田一道(スチルカメラマン)、高久誠司(カメラクレーン)に加え、とんねるずの石橋貴明木梨憲武の計11名でレギュラーメンバーが構成された。

さらにレギュラー以外に参加者がおり、デビューシングル『Get down』に、神原孝(ディレクター)、太田一矢(ディレクター)、7thシングル『First impression』に、荒井千佳(音声)、9thシングル『太陽の化石』に網野と入れ替わりで浅野吉朗(放送作家)、10thシングル『star』に一般オーディションで小林紗貴が参加した。

名前の由来は野猿街道にあるラブホテルホテル野猿」である。石橋が「すごい名前のホテルの看板を見た」と「とんねるずのオールナイトニッポン」で、その強烈なネーミングに感心したと話した(その時、石橋は「のざる」とよんでいた)。

番組内ではFIFAワールドカップ予選で日本初出場を決めるゴールを挙げた岡野雅行のニックネーム「野人(やじん)」が由来(「岡野は野人だから、君たちは野猿」と石橋が名づけた)とされたが、これは他の番組に出演するために後から付けられたものである。

ボーカルチームは1列・とんねるずの石橋、木梨と平山、神波。歌唱パートは主に石橋&平山、木梨&神波、ダンサーチームは特に優秀な2列・成井、飯塚、大原と3列・網野、星野、半田、高久で構成された。

CD発売時、ホテル野猿では、CDデビューから一ヶ月限定で、野猿のCDやファンクラブ「大道具通路」の会員カードを持参すると割引サービスがあった。

シングルの全11曲すべてがオリコントップ10入りを果たし、3枚のアルバムも全てトップ5入りとなり、累計300万枚の売り上げを記録した。全50曲全は、全作曲後藤次利、ほぼ全ての作詞秋元康による。振り付けはTRFのSAM、ETSU、CHIHARUが担当。シングル表題曲には全てPVが基本的にショートサイズで制作された。

当初の予定では人気投票で最下位だった者は次々に脱退させていき、最後は2人になると発表されていた。しかし脱退メンバーは神原と太田のみで、以降は正式脱退するメンバーはなかった。人気投票は度々行われ、主に半田、網野が最下位争いをし、罰ゲームを受けるに留まった。

活動時はその人気にあやかり「モジモジくん」やコント、スペシャル企画「アメリカちょっとだけ横切りウルトラクイズ」など「ほんとのうたばん」以外のコーナーにも出演して数年間に渡り番組を支えた。1999年4月放送の1stライブのドキュメント回は番組史上最高の平均視聴率24.8%を記録した。

2001年2月、本業への専念と人事異動から解散(撤収)を発表した。石橋はインタビューで、「永遠に続けていくことも考えたが、自分と憲武やメンバーのことも考えて、惜しまれてやめていくのがいいかな」と語り、木梨も「野猿は終わるけど、また違った遊びが来るのではないかと思う」「彼らは出世と引き換えにかけがえの無い物を手に入れた。それは今後の彼らの人生にきっと役に立つと思う」と語った。撤収とはスタッフの片づけを指している。同時に「ほんとのうたばん」コーナーも終了した。

その後もほとんどのメンバーが主にフジテレビのバラエティ番組の裏方で活躍し、撤収後も『おかげでした』スタッフに数人のメンバーが残り、大原、飯塚、網野、半田らが時折、スタッフたちの中に混ざって姿を見せていた。しかし、その後はほとんどが裏方に専念し、撤収後は番組内でもほとんどいじられる事はなかった。
活動歴
結成

1997年冬、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内での、TBSうたばん』のパロディコーナー「ほんとのうたばん」の一企画で、KinKi Kidsの『硝子の少年』のモノマネをするとんねるずの後ろで踊っていた十数人の番組スタッフを「ジャニーズ・シニア(?)」と名づけたことが発端となった。これが好評となりその第二弾の同じくKinKi Kidsの『愛されるより 愛したい』を同メンバーでパロディした際、石橋がメンバーを「野猿」と命名した。その際にメンバーの愛称も決められた。avex traxからCDデビューしたらカッコいいと盛り上がり、番組内でMAX松浦に電話で直接交渉。すると「もうそのつもりでいました」と返答、avex traxからのデビューが決定した。さらに木梨が「振付SAM」と言った事から、後日SAMをスタジオゲストに呼び直接交渉し成立した。
1998年

2月、メンバーの中からボーカルを決めるオーディションを行い、当時の予定では平山、神波、成井、飯塚の4人が選ばれたが飯塚は音程に難アリという判断で外され、またインパクトに欠けるということで秋元康が追加メンバーとしてとんねるずの2人を加えることを提案し、石橋・木梨がボーカルに加わり男性メンバー13人でのデビューとなった。当初デビューシングルは『Privacy』と発表されたが、後に『Get down』に変更され『Privacy』はそのカップリング曲となった。

デビューシングル『Get down』がオリコンチャート初登場10位の大ヒットとなる。その際ファンクラブ会員350人によるメンバーの人気投票を行い、最下位の神原が脱退となった。その後、再び人気投票を行い1週間後にPV撮影に向かう成田空港のロビーで最下位の太田が脱落していった。

2ndシングル『叫び』で自身最高位の初登場2位を記録した。なお同曲のPVの撮影で訪れたアメリカで、舞い上がっていた高久がしっかりダンスを覚えていなかったため、石橋が激怒し脱退を言いつけた。最終的には高久の涙の謝罪で脱退は逃れる。実はとんねるずの2人以外には内緒の「ドッキリ」仕掛けであった。

『叫び』では野猿を平山・星野・半田チーム、神波・高久・飯塚チーム、大原・成井・網野チームの3チームにわけて全国6ヶ所(各チーム2ヶ所ずつ)のCDショップで手売り販売会を行なった。同曲の手売り販売会などのプロモーション期間中は禁酒が言い渡されていたにもかかわらず、高久は無断で髪を金髪にして手売り販売会に酔った状態で出演し、アナウンサーやスタッフに迷惑をかけ、半田は計25杯飲酒して「ロンリーチャップリン」を熱唱していたことが発覚。高久と半田は罰として坊主を言い渡されるも(酒の席に同席していた平山、星野、大原、飯塚と、同行したスタッフには青唐辛子一本食いの刑が執行された)、半田は仕事の都合で拒否したため石橋が解散を宣言し一気に解散の危機を迎える。最終的に大原、網野、飯塚、星野が連帯責任で自ら坊主になっていく姿を見たことで、自分も坊主にし、なぜか坊主になった木梨を含め、計7人が坊主になったことで野猿は続行となった。

10月6日放送の『とくばん』内でメンバーの人気投票を行なった。結果最下位は半田となり、坊主にして間もない頃だったが再度坊主にされた。

3rdシングル『SNOW BLIND』で表題曲のボーカルから成井が外され、4thシングル『Be cool!』以降は完全にダンサーチームとなった(ただしライブでそれ以前の曲を披露する場合はボーカルチームに加わる)。

『SNOW BLIND』では野猿ドラフト会議が開かれ、全国CDショップの店員がドラフト形式で野猿メンバーの1人を手売り即売会に引き抜いていき、売上最下位のメンバーは罰ゲームが用意された。


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