神沢利子
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誕生 (1924-01-29)
1924年1月29日(100歳)
日本 福岡県
職業児童文学作家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴文化学院文学部
活動期間1958年 -
ジャンル児童文学
代表作『いたずらラッコのロッコ』(1968年
『くまの子ウーフ』(1969年
『銀のほのおの国』(1972年
『そりになったブナの木』(1974年
『流れのほとり』(1976年
主な受賞歴産経児童出版文化賞1975年
日本児童文芸家協会賞1977年
日本児童文学者協会賞1979年
野間児童文芸賞1979年
産経児童出版文化賞1981年1989年
産経児童出版文化賞大賞(1990年)
路傍の石文学賞1996年
モービル児童文化賞(1996年
巖谷小波文芸賞1996年
小学館児童出版文化賞2004年
講談社出版文化賞2005年
デビュー作『タンポポのうた』(1958年
影響を受けたもの

佐藤春夫

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神沢 利子(かんざわ としこ、本名・古河トシ[1] 1924年1月29日[1] - )は、日本児童文学作家
来歴・人物

福岡県戸畑市に生まれる[2][3][4]。6人兄妹の5番目[2]。炭鉱技師の父親の転勤により、東京北海道樺太へと移り住む[2]。1936年、樺太庁豊原高等女学校に入学[3]。1937年の夏に上京し、自由学園普通科を経て、1940年、文化学院美術部に入学、のちに文学部に転部する[2][3]。1943年、文化学院文学部を卒業する[1]。在学中に佐藤春夫に師事する[4]。1944年に結婚し西宮市に移転[2]。二女を産んだあと、逗子横浜市に移る[2]

1958年、『タンポポのうた』でデビュー。1960年、『ちびっこカムのぼうけん』を雑誌に連載、翌年単行本として出版され、サンケイ児童出版文化賞推薦となる[2]。1965年以降、本格的創作活動に入り、数多くの児童文学作品を刊行する。1975年、『あひるのバーバちゃん』で産経児童出版文化賞、1977年、『流れのほとり』で日本児童文芸家協会賞、1979年、『いないいないばあや』で日本児童文学者協会賞野間児童文芸賞、1981年、『ゆきがくる?』、1989年、『おやすみなさいまたあした』で産経児童出版文化賞、1990年、『タランの白鳥』で産経児童出版文化賞大賞を受賞する。1992年、『おめでとうがいっぱい』で日本童謡賞、1996年、『神沢利子コレクション』に纏められた一連の業績で路傍の石文学賞、モービル児童文化賞、巖谷小波文芸賞を受賞する[1]。2004年、『鹿よ おれの兄弟よ』で小学館児童出版文化賞、2005年、同作で講談社出版文化賞受賞する。

初期の代表作として『いたずらラッコのロッコ』『くまの子ウーフ』『銀のほのおの国』『そりになったブナの木』などがある。2006年、エッセイ集『同じうたをうたい続けて』を刊行、児童文学界の長老の一人である。

「子どもの本・九条の会」代表団員を務めている[5]

2024年1月に100歳を迎えた[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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