神殿売春
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神聖娼婦(あるいは神殿娼婦、聖婚とも)は宗教上の儀式として神聖な売春を行った者である。その儀式を神聖売春または神殿売春という。
目次

1 古代近東地域における神聖娼婦

1.1 メソポタミア


2 アジア

3 日本

4 関連項目

5 出典

古代近東地域における神聖娼婦 イナンナもしくはイシュタルは女神官の儀式用髪飾りを付けて表される

チグリス川ユーフラテス川に沿った古代近東にはバビロンイシュタルの神殿をはじめとした多くの聖地や神殿、「神の家」が存在しており、ヘロドトスは『歴史』の中で神殿売春の慣習を伝えているが[1]、多分に誤解を含んでいるという主張もある[2]。サミュエル・ノア・クレーマーの聖婚:古代シュメールの信仰・神話・儀礼によると、後期シュメールおよびアッカドの王サルゴンは、アキトゥと呼ばれる新年祭の10日目に神殿で行われる王と女神の結合の儀式に神聖娼婦を参加させることで、その正当性を確立させたとされる[3]。西暦4世紀にキリスト教を奉じるローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が女神の神殿を破壊し、キリスト教化したことによって、神聖娼婦の習慣は終了した[4]
メソポタミア

古代メソポタミアの巫女は、寄進を受けた者に神の活力を授けるために性交渉を行う風習があった。『ギルガメッシュ叙事詩』でもギルガメッシュの友エンキドゥの獣性を鎮めるために、娼婦を派遣して性交渉を行ったとの記録があり、当時は売春行為は、現在とはかなり違い神聖な儀礼であった事をうかがい知る事ができる。また、古代メソポタミアのイシュタル古代ギリシアアフロディーテ北欧神話フレイヤなど、多くの神話では愛と美を司る女神は性に奔放な姿で描かれているのも、こうした神殿娼婦の影響によるものと考えられている[誰?]。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは古代メソポタミアにおいて神殿売春が行われていたと初めて言及した人物である[5]
アジア

デウキ(英語版)とは、古にされた契約を果たして宗教的な利益を得るために少女が地元のヒンズー教の寺院に捧げられる、ネパール西部の古い習慣である[6]。少女は売春婦として寺院に奉仕し、それはインドデーヴァダーシーの習慣と類似している[7]。この習慣は無くなりつつある[8]が、少女はまだ捧げられている。
日本

日本における金精様などの生殖器崇拝の起源も、農作物の豊穣祈願である[9]。交接を伴う祭祀も多く見られ、各地の闇祭のほとんどが性交の儀礼を伴なっていた。筑波山にはカガイと称する性の解放祭があり、宇治には闇祭(別名:種もらい祭)という露骨な性の取引があったという[10]。また白拍子や加賀女等の遊女が主役の祭りも多く、中山太郎は「巫女が日本における遊女、遊郭の起源である」と書いている[11]。祇園八坂神社の「神輿迎え」、沖縄の尾類馬、遊女供養の下関の赤間宮の先帝祭などでは遊女が舞いを奏し、播磨の鎮守賀茂神の祭りや摂津の住吉大社では遊女が祭りの主役であり「この地こそ神功皇后の勅許以来日本最初の遊郭であった」と唱えられているという[12]。ゆえに各地方の遊郭は神社を中心に発達した。伊勢の古市に遊郭が整備されたのは決して近年の話ではなく、「大昔から全国に渡り『夫婦連れての伊勢参宮したのでは御利益がない』という諺が行われている裏面には、道者は必ず古市で遊ばなければならぬように仕向けられていたのである」と述べている。[13]
関連項目

ヒエロス・ガモス

デーヴァダーシー

出典^ 例えばジェームズ・フレイザー (1922), 金枝篇, 3e, Chapter 31: Adonis in Cyprusなど
^ Stephanie Budin, The Myth of Sacred Prostitution in Antiquity (Cambridge University Press, 2009)
^ “ ⇒Encounters In The Gigunu”. Bibliotecapleyades.net. 2011年8月25日閲覧。


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