神戸市立鷹匠中学校(こうべしりつ たかしょうちゅうがっこう)は、兵庫県神戸市灘区にある公立中学校。
沿革
1948年(昭和23年)4月1日 - 神戸市立花園中学校[注釈 1]より分離独立し、神戸市立楠ヶ丘高等学校内に開校[注釈 2]。同月15日に開校式・入学式を挙行。
1948年(昭和23年)8月3日 - 正式な校舎の敷地を灘区徳井字弓ノ木(当時)の現在地に決定し、木造2階建ての第1期校舎2棟の建設を開始(翌年10月22日竣工)。
1949年(昭和24年)4月1日 - 神戸市立楠ヶ丘高等学校が須磨区に移転(同時に『神戸市立須磨高等学校』に改称)。代わって同地には、神戸市立外事専門学校が学制改革によって新制大学に昇格・移行した神戸市外国語大学[1]が、葺合区(当時)の小野柄(おのえ)通から移転[2]。
1950年(昭和25年)4月14日 - 前年度までの神戸市外国語大学内での授業に代わり、当校(前述の第1期校舎)・神戸市立成徳小学校・神戸市立高羽小学校の3校を利用しての分散授業を開始。
1950年(昭和25年)9月1日 - 8月28日に木造の第2期校舎2棟が竣工し、この日より全校生徒が当校にて授業を開始。これにより、4月から実施していた前述の分散授業を解消。
1951年(昭和26年)4月5日 - 神戸市立六甲山小学校を校区にする。
1955年(昭和30年)4月1日 - 特殊学級設立。
1961年(昭和36年)4月1日 - 神戸市立烏帽子中学校開校に伴い、校区変更
1963年(昭和38年)4月1日 - 神戸市立長峰中学校開校(厳密には移転・改称)[注釈 1]に伴い、校区変更
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。東館・西館・新館・本館・南館共に全半壊の被害を受けた為、校庭に仮設校舎を設置(同年2月に着工)して授業を再開。
1995年(平成7年)3月 - 東館の解体工事に着手。
1995年(平成7年)8月2日 - この日以降、プール・西館・新館・本館の解体工事に順次着手。
1996年(平成8年)9月 - 新校舎の建設工事が着工。
1997年(平成9年)11月7日 - 新校舎完成。
1997年(平成9年)11月12日 - 南館・仮設校舎の解体工事および校庭の改修工事着工。
1998年(平成10年)4月18日 - 校庭の改修工事が完成し、初使用式を挙行。
2008年(平成20年)1月17日 - 震災13周年の日に阪神・淡路大震災モニュメント完成。
校歌
松平芳樹作詞/大澤壽人作
部活動
運動部
野球部
陸上競技部
ソフトテニス部
サッカー部
バスケットボール部
卓球部:2023年の全国中学選抜卓球大会では、男子団体においてベスト16進出を果たした。
剣道部
ソフトボール部
バレーボール部
文化部
吹奏楽部
美術部
理科部
書道部
合唱部:創部1963年。各種演奏会、コンクール、文化祭等に出演。NHK全国学校音楽コンクール、全日本合唱コンクール等の全国大会において最優秀賞6回、全国第一位5回、金賞2回、銅賞2回を受賞。2016年にはNHK全国学校音楽コンクール、全日本合唱コンクールのダブル全国出場を、2018年には全日本合唱コンクール全国出場を実現した。2022年のNHK全国学校音楽コンクール近畿大会銀賞を受賞。
校区
神戸市立高羽小学校
神戸市立成徳小学校(友田町、浜田町を除く。)
神戸市立灘小学校のうち、永手町4?5丁目、稗原町1?3丁目、稗原町4丁目(1番、2番1?5号、2番17?23号、3番)、森後町2?3丁目、六甲町1?5丁目
神戸市立六甲山小学校
制服
男子
冬服は標準的な学生服上下である。
夏服はカッターシャツ、スラックスである。
女子
冬服はブレザー、ブラウス、ジャンパースカートである。
夏服はブラウス、吊りスカートである。
周辺
親和中学校・親和女子高等学校
石屋墓園
石屋川
兵庫県道95号灘三田線
卒業生
田中実 - 北朝鮮による拉致被害者
金田龍光 - 特定失踪者
矢田立郎 - 前神戸市長
土井正三 - 元プロ野球選手
中坂勇哉 - プロサッカー選手
戸田恵梨香 - 女優
近衛杏 - 元宝塚歌劇団娘役
三浦拓也 - ギタリスト
西久保弘光 - CMディレクター
交通アクセス
JR六甲道駅より徒歩15分
神戸市バス「石屋川車庫前」下車徒歩3分
通学区域が隣接している学校
神戸市立上野中学校