神戸市立葺合高等学校
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神戸市立葺合高等学校

国公私立の別公立学校
設置者 神戸市
学区第一学区
校訓自主の人たれ、創造の人たれ、 世界の人たれ
設立年月日1949年(昭和24年)
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
国際科
高校コード28224D
所在地〒651-0054
兵庫県神戸市中央区野崎通一丁目1番1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度42分39.8秒 東経135度12分37秒 / 北緯34.711056度 東経135.21028度 / 34.711056; 135.21028座標: 北緯34度42分39.8秒 東経135度12分37秒 / 北緯34.711056度 東経135.21028度 / 34.711056; 135.21028
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神戸市立葺合高等学校(こうべしりつふきあいこうとうがっこう, Kobe Municipal Fukiai High School)は、兵庫県神戸市中央区野崎通一丁目に所在する市立高等学校目次

1 概要

2 設置学科

3 沿革

3.1 神戸市立神戸中学校(旧制)?神戸市立神戸夢野台高等学校

3.2 神戸市立葺合高等学校


4 校風

5 部活動

6 著名な出身者

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

概要

1949年(昭和24年)に、高校三原則に基づく総合制を実施する新制高等学校として神戸市葺合区に開校した。直接的な関係にはないものの、現在の校地にかつて存在した神戸市立神戸中学校(旧制)とその後継校の学籍を管理し、同窓会である筒台会も引き継ぎ現在に至っている。
設置学科全日制課程

普通科

国際科(旧称:英語科)

沿革
神戸市立神戸中学校(旧制)?神戸市立神戸夢野台高等学校

1939年昭和14年)

2月28日 - 文部大臣より設置が認可され、葺合区(現・中央区)野崎通に設置される。

4月1日 - 「神戸市立神戸中学校」が開校。

入学資格を尋常小学校卒業程度の12歳以上、修業年限を5年とする。

兵庫県立第一神戸中学校の神中(じんちゅう)と区別するために「戸中」(べーちゅう)と通称される。



1943年(昭和18年)

4月1日

神戸市立第二中学校(夜間部)発足により、「神戸市立第一中学校」に改称。

中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。



1945年(昭和20年)

3月 - 修業年限4年施行の前倒しにより、1940年(昭和15年)に入学した5年生と1941年(昭和16年)に入学した4年生の合同卒業式を挙行。

4月1日 - 授業を停止。ただし学徒勤労動員は継続。

6月5日 - 神戸大空襲により校舎全焼。

8月15日 - 終戦。

9月1日 - 同区内の神戸市立雲中国民学校(現・神戸市立雲中小学校)敷地内にて授業を再開。


1946年(昭和21年)

4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。

9月1日 - 神戸市兵庫区松原通の道場国民学校敷地内に移転。


1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。

旧制中学校の生徒募集を停止(1年生不在)。

新制中学校を併設し(名称:神戸市立神戸中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、その4・5年生となった(4年で卒業することもできた)。



1948年(昭和23年)

4月1日 - 学制改革(6・3・3制の実施)により旧制中学校が廃止され「神戸市立神戸高等学校」(男子校)と改称。修業年限を3年とする。

旧制中学卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。

併設中学校は新制高校に継承され(神戸市立神戸高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。


5月25日 - 兵庫県立第二神戸女子高等学校の敷地内に移転し、併設の形をとる。

9月1日 ? 併設の兵庫県立第二神戸女子高等学校が兵庫県立夢野台高等学校に改称され、神戸市立神戸高等学校と男女共学を開始。


1949年(昭和24年)

3月31日 - 併設中学校を廃止。旧制中学校4・5年から新制高等学校(全日制)3年への修業年限の移行が完了する。

3月 - 神戸市立神戸高等学校第1回生卒業。

4月 - 小学区制の強行により、夢野台高等学校との間で生徒の振り分けが混乱する。

9月 - 新入生全員を夢野台高等学校に編入、神戸市立神戸高等学校は1年生不在となる。


1950年(昭和25年)

4月 - 新入生徒の募集は行わず、神戸市立神戸高等学校は3年生のみとなる。

7月1日 - 兵庫県立夢野台高等学校と神戸市立神戸高等学校が統合され、「兵庫県立神戸市立神戸夢野台高等学校」と改称。県側は兵庫県立神戸夢野台高等学校と称し、市側は神戸市立神戸夢野台高等学校と称した。


1951年(昭和26年)3月 - 市立側に在籍する生徒が全員卒業し、神戸市立神戸夢野台高等学校は自然消滅となる。

神戸市立葺合高等学校

1949年(昭和24年)4月 - 高校三原則の理念に基づき、神戸市立灘商業高等学校に普通科を新設して雲中小学校校地内に開校。 直江寧一初代校長着任。

1951年(昭和26年)

4月 - 商業科が分離し神戸市立神戸商業高等学校として独立。葺合高校は普通科単独校となり、現校地(旧制市立中学校の跡地)に移転。

7月 - 統合により消滅した市立神戸夢野台高校に代わって旧制中学校以来の学籍簿を保管し、同窓会も引き継ぐこととなる。

9月 - 校歌を制定。


1964年(昭和39年)9月8日 - 神戸市灘区六甲山に「六甲山学舎」を開設。

1986年(昭和61年)4月1日 - 英語科を設置。

2003年(平成15年)4月1日 - 英語科の募集を停止し、国際科を新設。

2005年(平成17年)3月31日 - 英語科を廃止。

2008年(平成20年)5月23日 - 台湾国立台中第一高級中学と姉妹校提携を結ぶ。

2011年(平成23年)2月15日 - 校舎の老朽化対策と耐震化を理由に、現在地で全面建て替え工事を矢田市長が定例会見で発表。[1]


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