神戸市立住吉小学校(こうべしりつ すみよししょうがっこう)は、兵庫県神戸市東灘区住吉東町4丁目にある公立小学校。
歴史
1873年(明治6年)7月25日 - 明治5年の学制発布により住吉村にも小学校を設置する事となり、阿彌陀寺本堂を仮用した。当時の授業は旧来の寺子屋教育の踏襲に過ぎず、内容は読・書・算の三科で、教師は寺子屋師匠であった元神宮寺の住職宮居重次郎及び要順戒、藤村宗一郎、横田市左衛門の4氏で、月報は当時としては相当な優遇の7円50銭だった。生徒は120人で各町から順次伍長なる者を2人ずつ出して、生徒の通学ならびに学習を監督させたが後にこれを1名に減じた。学校経費は適宜協議して集金したが、明治7年月謝制度に改め、一等30銭、二等20銭、三等10銭とした。そのため生徒数が60人に半減してしまったため再び協議集金制に復した。
1874年(明治7年)11月 - 経費不足につき職員3名を減じ、宮居重次郎一人で教え、助手として子供3人を雇う。
1875年(明治8年)4月 - 呉田町が本校より分離して呉田小学校を設立し、同町内の児童を就学。後者は学区取締の同町吉田龜次郎所有の米蔵を仮用し、教員は藤井靜1人だった。後、茶屋区に住吉尋常小学校が新設されるに及び明治12年5月本校に合併した。
夏 - 学区取締吉田龜次郎の尽力により仲の町も呉田町に倣い新化小学校を設立し、兵庫県伝習所卒業生中澤元章を教師として招聘。専念寺本堂を校舎に充てた。
1879年(明治12年)
1月 - 茶屋区(現・神戸市立住吉幼稚園敷地)に新校舎を建築し、住吉尋常小学校と改称する。住吉・郡家・野寄の聨合だった。
9月 - 学制を廃し教育令発布されるに及び、学務委員が設置される。
1883年(明治16年) - 新化小学校を長峡簡易小学校と改称。同18年に本校の分教場となり、住吉小学校長峡分教場と称し、同27年4月には木田喜兵衛宅に移り住吉小学校分教場と称し、同29年には更に増田興左衛門宅を購入して移転した。
1900年(明治33年)4月1日 - 教育上不便が少なくなかったため、長峡分教場を廃して本校に併合する。
1901年(明治34年)
7月8日 - 裁縫専修科を設置。
7月25日 - 明治30年頃より、老朽化と収容人数不足から新築議論が出、同33年10月、旧校舎を取り壊し新校舎を建築する事を決定し、ただちに着工し、新校舎が竣工した。講堂建坪37坪5合、教室建坪167坪。建築費1万2300円。工事請負者は竹川重次郎。
1903年(明治36年)4月1日 - これまで御影・住吉・魚崎・精道・本山・本庄・六甲・西灘・都賀浜九ヶ町村組合の菟原高等小学校に通わせていたところを、本校に修業年限2ヶ年の高等小学校を併置し、住吉尋常高等小学校と称す。
1904年(明治37年)4月 - 当局の奨励により、経費の節約と教授の効果増大のため一部に全日二部教授制を行う。
1905年(明治38年)4月1日 - 高等小学校の修業年限を3ヶ年に延長し、翌39年度より4ヶ年に延長した。
1907年(明治40年)
3月20日 - 義務年限の4年から6年への延長により、尋常小学校の修業年限を6ヶ年、高等科を2ヶ年とした。
12月 - 西千歳道を隔てる隣接地に二階建て校舎(6教室)1棟、平屋建て1棟(旧図書館)の増設工事起工。翌41年4月28日落成。工事請負人は山口吉次郎。校舎建築費は1万4千円、敷地買い入れ費は4千円。
1910年(明治43年)12月21日 - 校章制定。
1912年(明治45年)4月 - 義務教育の延長と土地の発展により就学児童が激増したので、二階建て240坪を増築。中島勘次郎が請負。
1913年(大正2年)1月26日 - 新校舎落成。工事費用2万8千円。こうして校地総坪数510坪となり、千歳道以東の旧校舎を第二部、以西を第一部とし、第二部には尋常科第三学年まで、第一部には第四学年以上及び高等科の児童を収容する事とした。
1920年(大正9年)1月7日 - 住吉村が住宅地として発展するに伴い、就学児童は更に増加し、大正7年2月村会の議決を以って、大字大藏・戀野に16万6千余円を以って校地約9千坪を購入して、大正8年12月に新築請負者を野村亥之助に決定し、起工式を挙行。平生釟三郎・星野行則・中納安太郎・下田清五郎・橋本重幸の5氏を小学校建築臨時委員に選挙し、建築に関する調査工事監督などにあたらせた。
9月 - 現在地に旧1・2号校舎落成・移転。
1922年(大正11年)12月 - 旧3・4号校舎落成。
1924年(大正13年)12月20日 - 旧本館(コンクリート建)、建坪144坪竣工。
1928年(昭和3年)5月20日 - 旧講堂建築竣工、同年6月9日落成式。
1930年(昭和5年)12月 - 鉄筋コンクリート造二階建て一棟(建坪112坪5、延べ坪228坪13)を工費4万2千円を以って増築。
1931年(昭和6年)10月 - 旧5号校舎(コンクリート建)竣工。
1933年(昭和8年)10月 - 中央校舎竣工。
1938年(昭和13年)7月 - 阪神大水害により北部校舎が大被害(旧1号校舎崩壊)。破損校舎を撤去し、一階鉄筋二階木造及び木造二階建ての2校舎を新築する事を決定し、竹中工務店が工事を請け負った。昭和15年5月11日上棟式挙行。
1940年(昭和15年)
9月1日 - 兵庫県師範学校代用附属小学校に指定される。
10月21日 - 東端の木造旧6号校舎完成。
1941年(昭和16年)
4月1日 - 住吉国民学校と改称。