神戸ルミナリエ
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神戸ルミナリエ(こうべルミナリエ、英:Kobe luminarie)は、1995年から冬場に神戸市旧居留地で開催されている祭典および、開催期間中に電飾が施されているエリアの名称である[1]。同年1月17日に発災した阪神・淡路大震災が神戸市内に甚大な被害をもたらしたことを背景に、震災の犠牲者を追悼することや、震災の記憶を後世に継承することを開催の目的に掲げている。

独特の幾何学模様で構成されたイルミネーション(電飾)を通りや広場へ展示することによって、昼間とは異なる風景を現出させていることが特徴。イタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と神戸市在住の今岡寛和が第1回から共同でプロデュースを手掛けてきたが、2011年(第17回)および、2015年(第21回)以降はイタリア人デザイナーのダニエル・モンテベルデ(東京都在住)がプロデューサーを務めている[2][3]

2019年(令和元年)までは毎年12月に開催されていたが、2020年(令和2年)の初頭から新型コロナウイルス感染症が世界規模で流行している影響で、同年から2022年度(令和4年度)まで休止していた[4]。ただし、2020年には、開催を予定していた期間(12月4 - 13日)に2点のイルミネーション作品を神戸市役所本庁舎南側の東遊園地(例年メイン会場として使用している公園)に展示[5]2021年(令和3年)には「ロソーネ まちなかミュージアム」[6]、2022年(令和4年)には「カッサアルモニカ/音楽の宝箱」[7]という代替行事を開催していた。

2023年度(令和5年度)から、祭典を本格的に再開することが正式に発表されている。2023年度の再開に際しては、「震災の発災から2025年1月17日に30年を迎えることを見据えた実験的な取り組み」として、開催の時期を2024年(令和6年)の1月下旬(17日以降)に設定。会場や展示作品なども、休止前(2019年まで)から大幅に変更されている(詳細後述[8]
概要

阪神・淡路大震災の発生を契機に、鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で開催。発災した1995年から2019年までは、毎年開催されていた[9]

日本において、一般的に「ルミナリエ」とは、この祭典の事として著名ではあるが、語源のイタリア語では、「luminaria」の複数形「luminarie」であり、小電球などによる電飾(イルミネーション)の事を言う。商標としての「ルミナリエ」は株式会社アイ・アンド・エフにより商標登録(第4117138号ほか)されているが、「KOBEルミナリエ」のロゴは財団法人神戸国際観光コンベンション協会の登録商標(第4117139号ほか)である。

『ガレリア』と呼ばれる光の回廊はメインストリートである仲町通を貫いており、複数基のアーチを並べることで正面から見ると光のトンネルに見えるように設計されている。これは遠くからでも滑らかな視覚効果を上げるため、『フロントーネ』(ルミナリエの入口に当たる装飾)からの距離ごとにアーチ間の間隔は微妙に調整していた構造になっている。
歴史

1995年1月17日発災の阪神・淡路大震災で甚大な被害受けた神戸市に「復興の灯」を灯す意図の下に、同年12月に第1回を開催。兵庫県から観光復興イベントリレー開催支援事業に認定されてはいたが、当初は震災犠牲者への鎮魂行事として、1回で終了する予定だった。しかし、神戸商工会議所の副会頭として12月5日の開幕式典に立ち会っていた太田敏郎(神戸市に本社があるノーリツの創業者・代表取締役社長=肩書はいずれも当時)が、光の装飾に感涙したことをきっかけに、翌1996年以降も開催を継続することを提唱。100社以上の地元企業の社長への直談判を通じて協賛金を集めるなど、兵庫商工会議所ぐるみで推進役として尽力した[10]結果、1996年に観光復興イベントリレー開催支援事業として第2回の開催に漕ぎ着けた[11]。太田は、1997年以降も毎年のように地元企業からの協賛金集めに奔走したことから、「ルミナリエおじさん」と呼ばれた(2020年1月15日に92歳で永眠)[12]。なお、1997年7月からは、神戸市から復興特定事業の新産業構造形成プロジェクトに[13]にも認定されている。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}初年度は、1994年7月から9月にかけて和歌山県で開催された世界リゾート博で使用した電飾を使い[14]、倉庫に保管していた部材を使用して、株式会社経営企画センターにより運営された。[要出典]原資となったのは、世界リゾート博の余剰金30億円。翌年の和歌山で計画されていたものが神戸の震災の鎮魂儀式として、結びついた。1996年、経営企画センターの社員であった今岡寛和がヴァレリオ・フェスティと共に株式会社アイ・アンド・エフを設立し独立。経営企画センターによる運営から、株式会社アイ・アンド・エフによる作品権利へと移行した。
開催状況

兵庫県・神戸市などが共同で設立した「神戸ルミナリエ組織委員会」が主催。西日本旅客鉄道(JR西日本)が、特別協賛社として名を連ねている。

当初から毎年12月に開催されている[15]ため、近年では「神戸の年末の風物詩」として定着している。当初の会期は2週間であったが、経費節減の影響で、2007年度から12日間、2015年度には10日間に短縮されている。

メイン会場は、旧居留地内の仲町通、および東遊園地。会期中は、「ガレリア」と呼ばれるアーチ状の電飾が、仲町通の夜を彩る。東遊園地では、「スパリエーラ」(光の壁)など、複数の作品が敷地を取り囲むように立てられる。かつては、山陽新幹線新神戸駅前、神戸ハーバーランド異人館も、「サテライト会場」として一部の作品を設置していた[16]。しかし、2005年以降は、会場を仲町通と東遊園地に集約。仲町通では、経費節減などの影響で、2015年と2016年は「ガレリア」の設置ゾーンを短縮していたが2017年からは短縮以前の設置ゾーンに戻った。

会場内では、歩行者は元町側から東遊園地方面への一方通行とする順路が設定されている。また、会場周辺の道路では、開場時間の前後に車両通行止などの交通規制を実施する。

東遊園地への順路については、開催当初、仲町通から東進するだけのルートを設定していた。しかし、隣接都市である明石市内で2001年に発生した明石花火大会歩道橋事故をきっかけに、会場全般の警備体制を強化[17]。2005年以降は、元町駅周辺から仲町通にかけて、長い迂回ルートを設けている。実際には、警備関係者が来場者数に応じて、複数のルートを使い分けながら来場者を誘導する。

全国各地からルミナリエの観覧を目的とした団体旅行が主催されるほど認知度は高まったが、来場者の増加とともに警備費用も増加し[18]、一方で周辺道路の渋滞や駐車場の混雑などによって一般客が敬遠したり、日帰りバス旅行の利用者は滞在時間が短いなど、周辺企業のクリスマス商戦に支障をきたすようになった。それらの問題点がひいては企業協賛金の減少というかたちで跳ね返ることもあり、2005年以降はクリスマス期間の前に開かれている[19][20]

また、2005年には震災復興関連の補助金拠出が終了。企業からの協賛金も減少した影響で、2005年と2006年には赤字を計上した[21]。2007年からは、会期を12日間に短縮するとともに、会場内で「1人100円募金」を開始。来場者に対して、翌年の開催のための募金を呼び掛けている。さらに、会場内の特設ブース、神戸市役所、公式サイトで「神戸ルミナリエ公式グッズ」を販売するとともに、売上の一部を開催事業費に充当。2015年には、会期を10日間に短縮する一方で、クラウドファンディングによる期間限定の寄付プロジェクトを初めて実施した[22]

このように会期の短縮が相次いだことに加えて、イルミネーションやプロジェクションマッピングを利用したイベントや作品の展示・上映が日本各地で年々増えていることなどから、総来場者数は2004年をピークに減少基調で推移(詳細後述)。2015年には、「阪神・淡路大震災の記憶を後世に語り継ぐ」という基本姿勢を引き継ぎながらも、開催の趣旨を「復興」から「まちのさらなる魅力発信と神戸地域への集客」に変更した[23]。2017年からは、総来場者数が再び増加へ転じている。

東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生した2011年以降は、関西電力からの節電要請、省エネ志向、経費削減の観点から、一部の作品にLED電球を採用[24]


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