神山鳳陽(ごうやま ほうよう、文政8年(1824年) - 明治22年(1889年))は、明治時代に活躍した書家・漢詩人である。
名は述、字を為徳・古翁、号は鳳陽のほかに、三野々史・三野老人・至明。通称四郎。美濃の人。 美濃に生まれ京都に移り、私塾を開き文人墨客と盛んに交流した。経学に詳しく詩・書に巧みだった。明治2年(1869年)、西園寺公望が開いた私塾立命館に招かれ、江馬天江、谷口藹山、広瀬青邨、松本古堂
略伝
『明治三十八家絶句』(明治4年)・『皇朝百家絶句』(明治18年)にその詩が収録されている。また古法帖展観会には「曹全碑」・「集王聖教序」を出品している。
著書
『鳳陽遺稿』
『鳳陽遺印譜二巻』
関連項目
河井?廬
岐阜県出身の人物一覧
脚注
出典
成田山書道美術館監修『近代文人のいとなみ』淡交社、2006年
須羽源一「河井?廬翁のおいたちとその学問」『日本の篆刻』中田勇次郎編、二玄社、1966年
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