神山雄一郎
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神山 雄一郎
Y?ichir? Kamiyama

基本情報
本名神山 雄一郎
かみやま ゆういちろう
生年月日 (1968-04-07)
1968年4月7日(56歳)[1][2]
国籍 日本
身長180cm[2]
体重87kg[2]
選手情報
所属日本競輪選手会栃木支部[1]
期別61期[1][2]
脚質追込
アマチュア経歴
1984-1987作新学院高等部
登録地変遷
1988-栃木
業績
S級S班2008-2011, 2015-2016
賞金王1993, 1995, 1997-1999
新人王1989

特別競輪勝利
詳細は「主な獲得タイトルと記録」節を参照

GIオールスター競輪5回
GI競輪祭4回
GIェ仁親王牌3回
GI高松宮記念杯競輪2回
GI全日本選抜1回
GII共同通信社杯6回
GIIふるさとダービー2回
GIIサマーナイトF1回


■最終更新日:2024年5月9日  ■テンプレートを表示

神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日[2] - )は、日本競輪選手自転車競技選手。血液型B型。作新学院高等部卒業。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第61期生[1]日本競輪選手会栃木支部所属[1]。師匠は荒川博之[2][1]

GI勝利(16勝)と通算獲得賞金額(28億円超)、KEIRINグランプリ出場回数(16回)はいずれも競輪界史上最多、通算900勝は現役史上最多である。
来歴 
生い立ち

栃木県小山市生まれ[2]。生家は自転車屋で、父親は熱心なサイクリング愛好家だった[3]。神山も父親とともにサイクリングをするようになり、休日になると自転車に乗って遠出していた[4]。幼稚園時代から運動神経と脚力は抜群だったという[3]神山は、小学校時代には休日になると筑波山太平山まで片道40-50kmの道のりを往復するようになり[3]、さらに長野県岐阜県まで野宿をしながら1日200kmを走破して移動することもあった[5]。神山はこの時期の自身について、苦しいと思いながらも自転車が好きだったため、サイクリングをやめなかったのだろうと振り返っている[5]。幼少の頃から自転車の整備を欠かすことはなかったという[5][† 1]

中学校時代には剣道部に所属し剣道に打ち込んだが、県大会3位、東北大会ベスト16という成績に納得がいかず、自身の運動神経をより発揮できるスポーツとして自転車に目を向けた[7]。神山は自転車部のある作新学院高等部に進学し、自転車部に入部[8]。同校は自宅から約40km離れていたが、鍛錬のため片道約1時間をかけて自転車で通学した[9]。入部1年目の1000mタイムトライアルの記録は1分20秒ほどであったが、長距離のポイントレースを中心としたトレーニングを積んだ結果、3年目には1分6秒にまで記録が伸び、インターハイ国民体育大会の1000m部門で優勝した[9]
競輪学校在校順位1位で卒業

高校在学中、神山は卒業後の進路としてプロの競輪選手を目指すかアマチュア選手として1988年のソウルオリンピック出場を目指すかの選択を迫られた[10](当時、プロの競輪選手がオリンピックに出場することはできなかった[8])。迷っていた神山であったが、1985年12月、父親に連れられて立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ'85を観戦し、場内の熱気と選手が入場した際の華やかさに魅せられ、競輪選手を目指すことを決めた[11]。さらに、中野浩一滝澤正光井上茂徳本田晴美らプロの選手がどのくらい強いのか挑戦してみたい気持ちもあったという[12]。競輪選手となるには競輪学校に入学することが前提となるが、作新学院自転車部は練習場として宇都宮競輪場を使用しており、受験対策に不安はなかったという[13]。その上、インターハイ優勝などの実績が評価されて1次試験は免除され、2次試験についても学科試験と小論文、面接に合格しさえすればいという優遇措置を受けることもできた[14][† 2]。1回目の受験で競輪学校に入学した神山は、在学中も優れた成績を収め、在校成績1位で卒業した[14]。神山はこの時期の自身について、「ボクはね、学校出るまで、ホント、苦労してないんです」と述べている[14]
競輪選手となる・グランドスラム達成

1988年4月1日に選手登録され、同年5月8日に花月園競輪場でデビュー、そのデビュー戦で初勝利を挙げた[2]。デビューから7か月でS級に昇格した[15]。しかし神山によると、この間にA級で成績が伸び悩む時期が存在し、この時期に大きな期待を寄せていた周囲の目が「あいつ、期待してたほどじゃない」と変わるのを経験したという。神山によると、後で振り返ると「大したことない」と思えるものの、当時としては挫折であった[16]。原因はラインを使ったブロックなどの駆け引きに対応しきれなかったためで、ブロックされないよう先行で勝負するようになってから成績が向上し、S級昇格を果たした[15]

1989年には競輪祭浜田賞・全日本競輪新人王決定戦[† 3]を優勝。そして翌月12月からは当時の最高峰であったS級1班に昇格[† 4][17]。また、同年の日本プロスポーツ大賞において新人賞を受賞した[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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