神宮寺
神宮寺(じんぐうじ)は、三重県鈴鹿市稲生西にある、高野山真言宗の仏教寺院。山号は福満山(ふくまんざん)、院号は慈心院(じしんいん)。本尊は薬師如来。 寺伝
目次
1 歴史
2 文化財
2.1 重要文化財(国指定)
2.2 三重県指定有形文化財
3 年中行事
4 近隣施設
5 アクセス
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
歴史
往時は、伊奈冨神社の別当寺 として、七堂伽藍が建てられていたが、織田信長の伊勢進攻の兵火により焼失し、現在の地へ移ったという。神社境内には、今も当時の菩薩堂が残されている。
昭和54年(1979年)本堂と庫裏が焼失したが、指定文化財類は、罹災を免れた。
文化財
重要文化財(国指定)
木造持国天立像・多聞天立像 大正2年(1912年)8月20日指定
いずれも足下に踏まえる邪鬼とともに、樟の一材より彫成する。面部は忿怒相で、甲冑、天衣を着け、各々二疋の邪鬼を踏む。多聞天は像高184cm、ほぼ直立し、右手を曲げ腰にあて宝棒を持ち、、左手は宝塔を捧げ持ち、左腰部を少し上げ左手に持った宝塔を注視する。持国天は像高179cm、右手に剣をもって腰にあて、左手は胸の辺に上げ、右腰部を少し引き上げ右下方を睥睨する。袖や裾に鋭い翻波式衣文が見られ、平安時代後期もごく前期に近い頃の作とされる[1]。
木造薬師如来立像 大正4年(1915年)3月26日指定
像高81cm、檜材の一木造。頭部から足元まで堅一材で、両肩から先には別材を寄せる。彩色・漆箔を行わない檀像様の像である。眼は彫眼とし、白毫には水晶を嵌入する。伏し目、童顔で、衣文線は穏やかで彫りも浅く、平安時代後期の作風を示す。右手は施無畏印、左手は垂下して薬壺を持つ、通形の薬師如来像である。台座、光背ともに後補。平安時代後期の作とされる [2]。
三重県指定有形文化財
木造男神坐像 昭和37年(1962年)2月14日指定
平安時代後期の作で、淳和天皇(在位823年 ? 833年)の像であると伝わる。一木造、像高71.5cm。
年中行事
1月8日 大般若会式
2月節分の日 星供養
3月21日 御影供
8月15日 盆施餓鬼会
近隣施設
伊奈冨神社
鈴鹿サーキット
慈恩寺 (鈴鹿市) 三重四国八十八箇所 19番札所
アクセス
近鉄 白子駅より西へ約3.5km
国道23号白子町交差点より 三重県道41号亀山鈴鹿線を西へ約3km
脚注^ 三重の文化財 ⇒木造持国天立像・多聞天立像
^ 三重の文化財 ⇒木造薬師如来立像
参考文献