出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年6月)
主要地方道
東京都道2号東京丸子横浜線
神奈川県道2号東京丸子横浜線
地図
東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線(とうきょうとどう・かながわけんどう2ごう とうきょうまるこよこはません)は、東京都品川区西五反田から神奈川県横浜市神奈川区に至る主要地方道である。丸子橋交差点を境にして、五反田方面を中原街道、綱島方面を綱島街道と通称される。 現在の洗足付近から丸子橋付近までと綱島付近から港北区篠原付近までは、鎌倉時代に造られた鎌倉街道下の道の一部を原形としている[4]。 室町時代から江戸時代初期、後北条氏の本城である小田原城と支城である江戸城とを結ぶ中原街道が造られ、その後徳川家康により整備された。 1920年(大正9年)4月1日、「東京府告示第百六十二號」(府縣道ノ認定)、および「神奈川縣告示第百二十二號」(府縣道ノ認定)により、東京府道19号下大崎川和線、神奈川県道都田下大崎線(この内、中原口から丸子橋までが相当)、および神奈川県道神奈川溝ノ口線(この内、綱島から菊名までが相当)が指定された。その後、京浜国道の六郷橋と府県道東京厚木線の二子橋との間に橋がなかったことや、京浜国道の交通飽和を緩和することなどが急務になったことから丸子橋が架設されることになり[5]、1935年(昭和10年)5月11日に初代の橋が開通した。 1936年(昭和11年)9月25日、「内務省告示第五百十六號」(指定府縣道竝指定地方費道)により、東京府道5号東京神奈川線、および神奈川県道8号神奈川上丸子線に指定された。なお、菊名以南は、現在の旧綱島街道と六角橋から神奈川区役所を経て国道15号の滝の橋付近に至る道路である[6]。
概要
起点:東京都品川区西五反田(大崎広小路交差点)
終点:神奈川県横浜市神奈川区浦島丘(浦島丘交差点)
路線延長
東京都区間 7,210 m(実延長、2013年4月1日現在)[1]
川崎市区間 3,276 m(実延長、2013年4月1日現在)[2]
横浜市区間 9,540 m(実延長、2014年4月1日現在)[3]
Google マップ
歴史