神奈川県第4区
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この項目では、衆議院の小選挙区について説明しています。かつて存在した衆議院の中選挙区については「神奈川県第4区 (中選挙区)」をご覧ください。

神奈川県第4区


行政区域横浜市栄区鎌倉市逗子市三浦郡
(2024年1月1日現在)
比例区南関東ブロック
設置年1994年
選出議員早稲田夕季
有権者数33万2853人
1.468 倍(一票の格差鳥取1区との比較)
(総務省・2023年9月1日)
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神奈川県第4区(かながわけんだい4く)は、日本衆議院議員総選挙における選挙区1994年平成6年)の公職選挙法改正で設置。
区域

1994年平成6年公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]

横浜市

栄区


鎌倉市

逗子市

三浦郡

歴史

中選挙区制時代には、栄区が旧神奈川県第4区に、鎌倉市・逗子市・三浦郡葉山町旧神奈川県第2区に属した。1994年(平成6年)の小選挙区設置後は、3期以上連続で小選挙区で当選した議員が出ておらず、また立候補者の顔ぶれの変遷も激しい。特定の政党や人物が特に強さを持っていない無党派層の多い地域とされる。

1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では、候補乱立の中で自由民主党飯島忠義が初当選した。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、民主党大石尚子が初当選し、前職の飯島は比例復活もしなかった。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙も大石が制したが、2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では逆に小泉旋風の中で自民党の新人林潤が初当選し、大石は比例復活できなかった。

2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では、大石が参議院議員となっていたため、民主党候補の後任を巡って対立が生じた。当時、神奈川県選挙区選出の参議院議員であった民主党の浅尾慶一郎は、以前に在籍した新進党時代に第4区から立候補した経験を持っていたため、参議院からの鞍替え立候補を望んだが却下され、民主党は新人の長島一由(元逗子市長)を同区の候補として公認した。この処置を受けて浅尾は民主党を離党し、新たに設立されたみんなの党の候補として立候補した。このため、民主党支持層は分裂状態に陥ったが、折柄の民主旋風も手伝って長島が初当選し、浅尾は比例復活で当選した。2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では、民主党の新人や京都から国替えした自民党元職の山本朋広を破り、浅尾が初めて小選挙区での議席を獲得した(山本は比例復活で当選)。

2014年(平成26年)、みんなの党代表であった渡辺喜美DHC会長からの8億円借り入れ事件で代表を辞任したため、浅尾がみんなの党の後継代表となった。しかし、前代表の渡辺と党所属議員との対立や、離党者が相次ぐなど、党内の混乱は収まらなかった。同年11月に衆議院が解散されるとみんなの党の分裂は決定的となり、浅尾はみんなの党を解党した。直後の同年12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では、無所属で立候補した浅尾が前回より票差を縮めたものの当選し、自民党の山本が再び比例復活した。その後浅尾は自民会派へ参加しており、事実上党所属議員が二人いることになった。

2017年(平成29年)の第48回衆議院議員総選挙に際して浅尾は9月27日に自民党へと入党して党籍を得たが、公認されたのは山本であり、浅尾は無所属のままで出馬することとなった。その争いへ立憲民主党は元神奈川県議の早稲田夕季、希望の党は風間法子(いずれも新人)を擁立する乱戦となった。結果として浅尾と山本の保守分裂を尻目に候補を取り下げるなど事実上日本共産党の協力を得た早稲田が抜け出し、初当選。山本は比例で復活したが、無所属出馬であった浅尾はそのまま議席を失う結果となった。

2021年(令和3年)の第49回衆議院議員総選挙も早稲田が再選、浅尾は次点も無所属で出馬したため再び落選、山本は3位だったが比例で復活した。その後浅尾は2022年の参院選に立候補して当選し、当選挙区の自民分裂状態は解消された。
小選挙区選出議員


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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