神奈川県立港北高等学校(かながわけんりつこうほくこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市港北区大倉山にある公立高等学校。 神奈川県のいわゆる「百校計画」実施以前の1969年、9学区制時の横浜北部学区に設立された。同年は港北区が分区された年であり、旧港北区唯一の公立校であった川和高校の新設緑区(後に都筑区)への移行により、現行の港北区で最初の公立高校となった[1]。16?18学区制時(1981-2004年)には横浜東部学区に所属し、2005年の県立高校学区廃止(全県学区)以降は神奈川県全域からの入学が可能になっている。 校地は新横浜地区北方の鶴見川東岸に接し、太尾小学校を挟んで太尾新道[2]の西に位置する。南側に太尾公園、北側近接地にはかつて国鉄スワローズの合宿所・練習グラウンドがあった[3][4][5]。同校付近の鶴見川堤防は近年両岸ともに整備されており、地域住民の他、通学路や部活動・学校活動の場として生徒にも利用されている。横浜アリーナ等の新横浜都心や横浜国際総合競技場のある新横浜公園へもスムーズにアクセスする[6][7][8]。新道沿いの太尾堤緑道は緑が豊富で、桜並木としても紹介される。同校入口付近の桜は大柄な樹容を見せ、春には片側の並木ながら「桜のトンネル」が楽しめる[9]。 この地域は古くから「太尾」と呼ばれていたが、2009年の住居表示実施に伴い「大倉山」に変更された。最寄り駅は東急東横線大倉山駅と横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅の2駅だが、通学経路が平坦なこともあり、約4割の生徒は自転車で通学している[10]。 自主性を重んじる校風があり、年間行事の中で体育祭(6月)、球技大会(7月、12月、3月)、文化祭(思港祭・9月)は、いずれも生徒会を中心とした生徒自身により運営されている[10]。 生徒からの要望を受け実施された新制服の制定(2008年)では、制定作業に生徒会役員が加わった。自転車通学のし易さ、歩き易さを求める生徒の意見が取り入れられ、プリーツ
説明
教育のスローガンに「自学力の育成」が掲げられており、校歌の3番に歌われる『やがて大樹になるために』を合言葉に、「自己実現に向かって自ら成長し続ける港北生を育成する」[11]ための教育目標とスクールビジョン、具体的なアクションプランが策定されている。2013年には生徒の主体的な『学修』を促す「アクティブ・ラーニング」型授業の取組みが始まり、2016年度からの県立高校改革実施計画では、先進的で優れた指導方法や教材などの研究開発を行う「授業力向上推進重点校」に指定されている[12]。(⇒教育の理念・特色 )
沿革
1968年(昭和43年)12月1日 ? 設立準備室を神奈川県教育庁総務室内に開設。
1969年(昭和44年)
1月1日 ? 神奈川県立港北高等学校を県立鶴見高等学校内に設立。横浜北部学区。
4月4日 ? 1969年度入学式。4学級192名入学。
1970年(昭和45年)4月3日 ? 第1期工事完成に伴い港北区太尾町1,895番地に移転。
1971年(昭和46年)
3月31日 ? 第2期工事完成(特別教室、体育館、格技場)。
7月1日 ? プール完成。
1973年(昭和48年)7月21日 ? クラブ室完成。
1975年(昭和50年)12月11日 ? 図書館棟完成。
1976年(昭和51年)12月1日 ? 校歌制定。米山正夫作詞、作曲。
1979年(昭和54年)5月15日 ? 創立10周年記念式典を行う。
1981年(昭和56年)4月1日 ? 16学区制に変更。横浜東部学区となる。
1989年(平成元年)4月6日 ? 1989年度入学式。11学級となる。
1990年(平成2年)1月11日 ? 創立20周年記念行事を行う。
1992年(平成4年)10月1日 ? 第1期校舎リフレッシュ工事。
1999年(平成11年)3月9日 ? グラウンド補修工事。
2005年(平成17年)4月1日 ? 全県学区に変更。
2006年(平成18年)12月20日 ? 神奈川大学と教育連携締結。
2007年(平成19年)
1月16日 ? 神奈川県立青少年センターと教育連携締結。
2月3日 ? 専修大学と教育連携締結。
2008年(平成20年)
4月1日 ? 新制服の制定。
11月20日 ? 創立40周年記念式典を行う。
2009年(平成21年)10月19日 ? 住居表示実施により大倉山七丁目35番1号となる。
2010年(平成22年)2月8日 ? 仮設校舎HR教室使用開始。