神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校(かながわけんりつ よこはまみどりがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市中区本牧緑ケ丘にある公立高等学校。通称は「緑高」(りょっこう)。 1923年(大正12年)1月に横浜第三中学校として創立。旧学区制度では横浜臨海学区に属した。2013年に創立90周年を迎えた。 横浜市中心部の南側に位置する本牧地区にあり、横浜スタジアムや中華街などに近い。校舎から横浜ベイブリッジや、晴れた日には富士山や房総半島も望める。 初代校長が掲げた“三徳一誠”(知・仁・勇・誠)の教育理念の下、偏りのないバランスのとれた人間の育成を目指している。校則はほとんどなく、自由でのびのびとした校風であり、生徒手帳はない。 定時制のない高校では珍しく、食堂を有する。旧校舎はいずれも築40年以上が経過し、耐震性に課題があることから本館及び北館については建替えを、西館については耐震補強改修工事を実施した。2014年に竣工した新校舎は南館と称する。 文化祭は「緑高祭(りょっこうさい)」と呼ばれ[1]、かつては文化の日前後に行われていたが、近年は毎年6月末から7月初めに開催される。 後援組織として旧制中学時代から「後援三徳会」が組織されているため、敗戦後にGHQからPTA結成の強い勧告を受けつつも、神奈川県下の公立高等学校の中で本校にのみPTAが設置されず[2]、現在もそれが続いている。後援組織であるため、2000年代前半までは地域の名士が役員に名を連ねていたが[3]、2000年代中ごろ以降は生徒の保護者によって運営されるようになった。 同窓会は「牧陵会」と称する。
概要
沿革
1923年(大正12年) - 県令をもって校名を神奈川県立横浜第三中学校とする。(県立の旧制中学として県下では7番目)
1923年 - 開校。県立商工実習学校で授業開始
1924年 - 現在地に移転
1945年(昭和20年) - 戦争により校舎が全焼。
1945年12月から1952年5月まで校地が米軍に接収され、第108墓地登録小隊に使用される。[4]
1948年 - 神奈川県立横浜第三高等学校(全日制普通科)と改称。校地の接収が一部解除され、復旧校舎が竣工。
1950年 - 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校(全日制普通科、男女共学)と改称。小学区制導入。
1960年 - 鉄筋コンクリート造りの新校舎(本館・北館)の落成記念式挙行