神奈川県立平塚農業高等学校初声分校
北緯35度11分39.4秒 東経139度37分20.1秒 / 北緯35.194278度 東経139.622250度 / 35.194278; 139.622250
国公私立の別公立学校
設置者 神奈川
併合学校神奈川県立三浦臨海高等学校
設立年月日1950年
閉校年月日2018年
共学・別学男女共学
本校神奈川県立平塚農業高等学校
課程昼間定時制課程
単位制・学年制学年制
設置学科園芸科学科
学期3学期制
高校コード14145D
所在地〒238-0114
神奈川県三浦市初声町和田3023
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神奈川県立平塚農業高等学校(かながわけんりつ ひらつかのうぎょうこうとうがっこう)は、神奈川県平塚市達上ヶ丘に本校を、三浦市初声町和田に初声分校を構えていた公立の農業高等学校。
2020年に神奈川県立平塚商業高等学校と合併し、神奈川県立平塚農商高等学校となった。平塚農業高校の本校舎は平塚農商高校の農業校舎として使用されている。また、初声分校の校舎は神奈川県立三浦初声高等学校の和田キャンパスとして使用されている。
歴史の閉鎖を契機とする同年4月の共同学校の創立、1874年11月の同校の廃止とそれに伴う小田原師範学校への改称、1876年6月30日の同校内の中等科設置、1879年5月24日の横浜師範学校への統合による小田原師範学校の廃止、1879年10月の足柄上郡、足柄下郡、大住郡、淘綾郡、津久井郡、愛甲郡による六郡共立小田原中学校の創立と旧師範学校施設の引き継ぎ、1880年2月の津久井郡脱退による五郡共立小田原中学校への改称、同校の大住郡への移転問題に起因する1884年7月の同校の廃校、以上の経緯により1886年5月、大住郡、淘綾郡、足柄上郡が同校を大住郡金目村へ誘致することによって三郡共立学校が創立された。
そしてその後の経緯は以下である。1896年4月の大住郡、淘綾郡合併(中郡となる)による二郡共立学校への改称、1898年4月、足柄上郡脱退による中郡共立学校への改称[1]、1900年3月の郡制改正施行による中郡立中郡学校への改称、国の実業教育政策に応じる形での1902年4月の中郡立中郡農業学校の開校、以上の経緯を経て同校は1908年4月に県に移管され平塚町達上西畑向原に移転し、神奈川県立農業学校となった[2]。
その後、同校は以下の経緯をたどった。1920年に神奈川県立実業補習学校教員養成所を併設した。そして1930年の神奈川県立平塚農業学校への改称を経て、1948年4月の学制改革により新制高等学校となった。
学制改革後は以下の経緯をたどった。1950年に旧三浦郡初声村下宮田に初声分校を設立し、さらに同校は1953年に三浦市初声町和田に移転した。2007年に本校が県教育委員会から産業教育重点推進校の指定を受け、分校が環境・エネルギー教育重点推進校と地域や社会に開かれた教育活動の充実拠点校に指定された[3]。2010年に分校が環境教育校の指定を受けた[4]。