神奈川中央交通
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神奈川中央交通株式会社
Kanagawa Chuo Kotsu Co.,Ltd.

神奈川中央交通本社
種類株式会社
市場情報東証プライム 9081
1949年5月16日上場
略称神奈中(かなちゅう)
Kanachu
神奈交(銘柄略称)
本社所在地 日本
254-0811
神奈川県平塚市八重咲町6番18号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度19分36.5秒 東経139度20分59.1秒 / 北緯35.326806度 東経139.349750度 / 35.326806; 139.349750座標: 北緯35度19分36.5秒 東経139度20分59.1秒 / 北緯35.326806度 東経139.349750度 / 35.326806; 139.349750
設立1921年大正10年)6月5日
業種陸運業
法人番号6021001036307
事業内容一般旅客自動車運送事業、不動産業他
代表者代表取締役社長 今井雅之
資本金31億6000万円
(2020年3月31日現在)[1]
発行済株式総数1260万株
(2020年3月31日現在)[1]
売上高連結: 1127億0200万円
単独: 525億4400万円
(2020年3月期)[1]
営業利益連結: 53億2900万円
単独: 32億2200万円
(2020年3月期)[1]
経常利益連結: 54億7000万円
単独: 35億3100万円
(2020年3月期)[1]
純利益連結: 22億8000万円
単独: 19億2000万円
(2020年3月期)[1]
純資産連結: 605億5600万円
単独: 379億7200万円
(2020年3月31日現在)[1]
総資産連結: 1561億5400万円
単独: 1049億4200万円
(2020年3月31日現在)[1]
従業員数連結: 7,224人
単独: 2,236人
(2020年3月31日現在)[1]
決算期3月31日
会計監査人EY新日本有限責任監査法人[1]
主要株主小田急電鉄 45.41%
横浜銀行 4.99%
横浜ゴム 1.96%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 1.82%
日本トラスティ・サービス信託銀行三井住友信託銀行退職給付信託口) 1.63%
三井住友信託銀行 1.49%
朝日生命保険 0.98%
第一生命保険 0.98%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 0.89%
明治安田生命保険 0.83%
(2020年3月31日現在)[1]
主要子会社#グループ会社参照
外部リンクwww.kanachu.co.jp
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神奈川中央交通株式会社(かながわちゅうおうこうつう、: Kanagawa Chuo Kotsu Co.,Ltd.[2])は、神奈川県平塚市に本社を設置し、神奈川県を中心として、東京都山梨県で営業する大手バス事業者である。通称は「神奈中バス(かなちゅうバス)」。神奈川県バス協会と東京バス協会の双方に加盟している[3][4]

小田急グループのうちの一社で、小田急電鉄持分法適用会社である。
概要

日本最大のバス事業者で[5]、バス専業の事業者としても日本一の規模であり[6]、日本のバス業界のリーダー的存在とされている[7]

川崎市臨海部や横浜市北東部、三浦半島西湘・箱根を除く神奈川県の大部分の地域と町田市多摩市八王子市などの東京都南多摩地域を中心に路線バス貸切バスの運行を行っているほか、東京駅・新宿駅からの深夜急行バスや、東京国際空港成田国際空港への空港連絡バスを運行する。かつては横浜・町田・本厚木などから近畿地方各地や盛岡駅への高速バス路線の運行も行っていた(後述)。近年では都市間高速バスの運行にも力を入れている。
歴史

本節では、主にバス事業の歴史を中心として、関連事業についても適宜記述する。関連事業についてはグループ会社の節も、車両の歴史は車両の節を参照。
創業期

2009年現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている神奈川県中央部に乗合自動車が走り始めたのは、1910年に佐藤某[注釈 1]が設立した合資会社による、厚木平塚を結ぶ幌つき自動車による路線の開設に端を発する[7]。これに続くように、1911年には相陽自動車が車両3両で秦野と平塚を結ぶ路線の運行を開始している。しかし、乗合馬車や人力車の方が安かったことや[8]、道路が悪く運転技術も未熟だった[8]こともあり、いずれも1年程度で廃業となっている[7]

第一次世界大戦後の好景気により、横浜市内ではまず賃貸自動車営業[注釈 2]が開始され、続いて兼営で乗合自動車の運行が開始された[9]1917年頃から個人営業による乗合自動車業が設立されはじめ[9]、当時市街地として発展していた弘明寺を中心に、複数の乗合自動車が激しい乗客争奪戦を行ったが[9]、無益な競争をやめて整理統合する機運が高まり[9]1921年6月5日に横浜市大岡町を拠点として相武自動車が設立された[9]。これが神奈川中央交通の直接的な起源である[7]
相武自動車
横浜市大岡町字樋ノ口(現在の横浜市南区通町)に本社を置き、野口貞一が代表者を務めた。弘明寺 - 大岡川村 - 本郷村 - 鎌倉町小町、弘明寺 - 日下村田中 - 屏風浦村杉田 - 横浜市滝頭町、鎌倉駅 - 逗子駅、逗子駅 - 六浦荘村三分瀬戸1931年11月湘南乗合自動車(現在の京浜急行バス)に譲渡)、横浜市南吉田町 - お三の宮 - 引越 - 戸塚町旭町、鎌倉駅 - 長谷大仏前 - 藤沢駅などを運行していた。


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