神埼郡
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この項目では、佐賀県の神埼郡について説明しています。

同じ県の隣接する市については「神埼市」をご覧ください。

佐賀県の廃止された、千代田町脊振村と合併・市制施行をし、神埼市となった町については「神埼町」をご覧ください。

兵庫県にある「神崎郡」とは異なります。
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佐賀県神埼郡の位置(緑:吉野ヶ里町 薄黄:後に他郡に編入された区域)

神埼郡(かんざきぐん)は、佐賀県肥前国)の

人口16,320人、面積43.99km²、人口密度371人/km²。(2024年4月1日、推計人口

以下の1町を含む。

吉野ヶ里町(よしのがりちょう)

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。

佐賀市の一部(三瀬村各町・蓮池町大字見島・蓮池町大字小松・蓮池町大字古賀・大和町大字名尾)

神埼市の全域

歴史
古代

三根郡は、古くは「肥前国風土記[1]和名抄」などに見えて、「和名抄」では「加無佐岐」と記す。

『肥前國風土記』の「神埼郡」[2][3]の条に、

昔、この郡に荒ぶる神がいて、往来する人が多く殺されました。景行天皇が巡行なされた時、ようやくこの神が和らぎました。それ以来、二度と災いは無くなりました[4]

そのため、神埼の郡とである。『肥前國風土記』では9郷[1]ですが、三根(みね)・船帆(ふなほ)・蒲田(かまだ)・宮処(みやこ)の4郷の記載である。

三根郷…『肥前國風土記』[1]で神埼郡三根村を海部直鳥が分郡して三根郡が成立したため、この地が海部直鳥の本拠地であったと思われる。所在地は神崎駅の西の城原川流域と比定。

船帆郡…在地[1]の諸豪族が、船で景行天皇が巡行なされた時に供奉した場所で、三根郷の南に位置する地域にあった。

蒲田郡…遺称[1]に蒲田津(現在の佐賀市蓮池)があり、城原川が筑後川に合流する地域である。船帆郡のさらに南に位置して、海に面した地域である。

宮処(宮所)郡…景行天皇の行宮の置かれた地であり、神埼市千代田町の西南部地域の比定される。

中世

神崎荘は、836年(承和3年)『類聚国史』に[3]天皇の命により新たに、690町の土地開発から始まる。皇室領[3]を経て、院領になる。その後は、白河院領[3]から鳥羽院領、後白河院領へと代々継承されています。鳥羽院領の時代には、院司として平忠盛平清盛の父)が神埼荘の預所となり、管理するようになった。その子清盛も同じく預所となった。

1292年(正応5年)『河上宮造営用途惣田数注文』には肥前國最大の荘園となったことが記され、その範囲は現在の神埼市吉野ヶ里町上峰町みやき町の一部にいたる3000町とも言われている。城原川流域には、神埼荘の櫛田三所大明神といわれる白角折神社櫛田宮、高志神社がある。

中世の時期[3]には、蒲田郷・中郷・竹村郷・上條郷・倉戸郷・東郷・西郷・土師郷・本告郷・賀ア郷があったと推定される。

南北朝時代には、北朝九州探題一色氏勢福寺城、横大路城を拠点とした。


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