神八井耳命
(かむやいみみのみこと)
続柄神武天皇の皇子
出生不明
死去綏靖天皇4年4月
大和国?
埋葬不明
大和国?畝傍山の北墓
(伝承地:奈良県橿原市山本町の八幡神社)
子女彦八井耳命、武宇都彦命
父親神武天皇(初代天皇)
母親媛蹈鞴五十鈴媛命または阿比良比売
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神八井耳命(かんやいみみのみこと[1]、生年不詳 - 綏靖天皇4年4月)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。
初代神武天皇の皇子で、第2代綏靖天皇の同母兄とされる。多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。 『日本書紀』に基づく関係系図 媛蹈鞴五十鈴媛命 1神武天皇 吾平津媛 (名称は『日本書紀』を第一とし、括弧内に『古事記』ほかを記載) 『日本書紀』によれば神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと、事代主神の娘)との間に生まれた皇子とされ、『古事記』でも母親を比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ、大物主神の娘)とする。 『日本書紀』では、同母弟に神渟名川耳尊(神沼河耳命、第2代綏靖天皇)を、『古事記』では加えて同母兄に日子八井命(日本書紀なし)の名を挙げる。 『新撰姓氏録』右京皇別 茨田連条や『阿蘇家略系譜』では、日子八井命(彦八井耳命)を神八井耳命の子とする異説が掲載されている[2]。 『日本書紀』綏靖天皇即位前紀によれば、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、皇位に就くため弟の神八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした(タギシミミの反逆)。この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、己卯年[3]11月に片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か[4])の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを討った。
系譜
神八井耳命神渟名川耳尊
(2綏靖天皇)手研耳命
系図
2 綏靖天皇 神八井耳命
3 安寧天皇 〔多氏〕
4 懿徳天皇 息石耳命
5 孝昭天皇 天豊津媛命
6 孝安天皇 天足彦国押人命
7 孝霊天皇 〔和珥氏〕 押媛
(孝安天皇后)
8 孝元天皇 倭迹迹日百襲姫命 吉備津彦命 稚武彦命
彦太忍信命 9 開化天皇 大彦命 〔吉備氏〕
屋主忍男武雄心命 〔阿倍氏〕
武内宿禰
〔葛城氏〕
記録