凡例神保長治
時代江戸時代
生誕寛永18年(1641年)
死没正徳5年10月8日(1715年11月3日)
別名新五左衛門、長次
幕府江戸幕府旗本
氏族惟宗姓神保氏
父母父:荻原友村
神保 長治(じんぼう ながはる)は、江戸時代の旗本。 旗本荻原友村
生涯
正徳5年(1715年)10月8日佐渡奉行在任中に江戸で病没、享年75。法名は覺往。家督は長男の長澄が相続した。
人物・逸話
長治の家系は神保相茂の系統(紀伊神保氏)や神保氏張の系統とは別系統である。『寛政重修諸家譜』によれば、系譜は 山城守─弾正忠─周防守八郎─対馬守八郎─政長─長利─重利─長賢 と続く。さらに呈譜(神保家が幕府に提出した系図)では周防守八郎と対馬守八郎の間に惣右衛門長誠がいて、これが神保長誠であり、その子の対馬守八郎が長重であるとしているものの、長誠が応仁年中の人であることなどを理由にこの家説を「とらず」としている。
系図上は甲賀流忍術の中心となった「甲賀二十一家」の流れを汲む。
長治が神田小川町に屋敷を構えたことから、そこを通っていた小路が「神保小路」と呼ばれるようになり、明治に入って辺り一帯が神保町と名付けられることになった。
参考文献
『寛政重修諸家譜』巻第千百八十二
『越佐人物誌』牧田利平編 野島出版 昭和47年 )