神之池
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鹿島臨海工業地帯の煙突が見える。

神之池(ごうのいけ)は、茨城県神栖市にあるである。
概要

面積44ha、平均水深1.9m、最大水深3.5m。一帯は神之池緑地公園として整備されており、神栖市民の憩いの場である。また神栖市役所が公園に隣接している。かつては現在の7倍もの面積があったが、周辺の工業用地造成のために1969年に埋め立てられた。

緑地公園では毎年、4月上旬にかみす桜まつり、9月中旬には花火大会が開催され、多くの観光客で賑わっている。
生態系

かつてはコイフナウナギボラエビなどが多数生息し、漁業も活発であった。現在はブラックバスブルーギルなどが多く、これらの趣味的な釣りを楽しむ人は多いものの、事業としての漁業は行なわれていない。
周辺施設

緑地公園として整備されている公園周辺は、ウォーキングコースのほかに運動施設等が数多くある。

パターゴルフ場

野球場

陸上競技場

テニスコート

神栖市武道館

神栖市民体育館

水質.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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歴史1961年の神之池を空撮したもの。国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。

神之池は、約1,400?1,200年前に海面が下降して周辺砂丘の造成や土砂の堆積によって独立して出来た、かつて周囲2里余(約8km)、面積292町歩余(約289ha)のおむすび型に近い円形の広大な淡水池であった[1]。戦後の高度経済成長期に、鹿島臨海工業地帯を建設する国家プロジェクトとして進められた鹿島開発を境に、神之池の様相は大きく変化した。そして今の姿は、鹿島開発によってその大部分が埋め立てられてしまったものである。
鹿島開発以前

奈良時代に編纂された『常陸国風土記』には、神之池(寒田池)に関する記述が残されており、この当時からコイやフナが棲み、人里の田はこの池のあるおかげで潤っていたことがわかる。

江戸から明治・大正・昭和初期における神之池では、コイ・フナ・ウナギ・エビなどの魚類や、カモなどの水鳥が相当多く獲れた他[2]藻草など水生植物が自生していた。それらが人々に自然豊かな恵みとして与えていたばかりでなく、或は用水池として周辺村々の水田の貴重な灌漑用水の水源として必要不可欠なものであった[1]。神之池と利根川の間にある各村々は、神之池に取水門を作り用水路を掘って水田に水を引いていたが、古くから水騒動が繰り返されている。一例として1886年(明治19年)の夏、空梅雨による大干ばつで神之池の水位が低下し、奥野谷村知手村日川村へ引く用水路を途中せき止めて文字どおり「我田引水」したことがきっかけで、「神の池用水水路妨害事件」として事件が発生した。日川村が2村を訴え、その裁判は2年後まで続いた[3]。また、1938年(昭和13年)7月には、大雨によって神之池が増水氾濫し、地層の低い奥野谷村では水位の低下を図ろうと他の村々に無断で神之池水門を開いて利根川に排水したために濁水が溝口村石神村芝崎村高浜村木崎村田畑村の周辺6村に氾濫した。これら6村の村民たちが神之池水門に殺到し村民どうし対立する事件が起こっている[4]。しかしながら、ふだんは地元の民から「砂丘の中のオアシス」と呼ぶように親しまれ、湖岸は青松と白い砂丘に囲われ、静かな水面には漁をする小舟が浮かぶ風光明媚なたたずまいを見せていたという[5]
鹿島開発とその後現在の神之池を空撮したもの。右の川に見えるものは鹿島開発に併せて掘り込まれた鹿島港の南航路である。池の大部分が埋め立てられたことがわかる。国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス を基に作成。

昭和30年代後半より高度経済成長期に入り、1960年(昭和35年)に当時の茨城県知事岩上二郎が「鹿島開発構想試案」をまとめ、1962年(昭和37年)4月に茨城県鹿島神栖波崎の地元3町村によって鹿島臨海工業地帯開発組合が設置され、鹿島開発がスタートした[6]


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