神ノ倉山
神ノ倉山(井原大橋から)
標高561.2 m
所在地 日本
広島県安佐北区白木町井原
安芸高田市向原町
神ノ倉山(かんのくらやま)は、広島市安佐北区白木町[1] と安芸高田市向原町[2] の境に位置する標高561.2メートルの山である。 広島市安佐北区と安芸高田市向原町の境に位置する山頂へは、広島市側(JR井原市駅近く)に徒歩での登山コースが2つ設けられており、北田城跡近くを通って山の北側から登る比較的緩やかなコースと、鍋谷城跡近くを通って山の南側から登る比較的急峻なコースがある。 また、向原町有留側からは、道幅は狭いながらも舗装された林道が整備されているため、車で山頂まで行くこともできる。 山頂からは中国山地の山々のほか、白木町井原地区の町並みや芸備線を走る列車を眺めることができ、天候の良い時期には遠くに広島湾も望める。 気温差のある秋から冬の早朝を中心に雲海が発生し、一面の雲海から近隣の山々がのぞいている姿は瀬戸内の島々を想起させる。神ノ倉山では日の出を背にする位置となるため、ブロッケン現象が見られることもある。 山頂の周辺には、安佐北区白木町井原の(故)谷岡国一が昭和30年代(1955年 - 1964年)から桜・サツキ・ツツジ・藤・モミジなどの花木や石碑、橋、トイレなどを整備した、私設の広大な公園がある。現在も「神乃倉山公園」として整備・維持が継続され、桜の木は数千本を数える[3][信頼性要検証][4]。三角点のある公園には円形の藤棚が設けられており、桜とともにこの山の春のシンボルになっている。 山頂近くの南西部に、ハンググライダー・パラグライダーのテイクオフ場が整備されており、荒谷山ともどもフライヤーをはじめ、その眺望の良さから写真愛好家にも親しまれている。 山頂からフライト場までの間にはハンカイソウの群生地があるほか、近くの向原町長田地区には、自生するカタクリの群生地がある。 「神ノ倉山」の古い記録としては、宝暦(18世紀後半)頃の井原村絵図において「神倉山」の記載が確認できる。[5] 1825年に完成した『芸藩通志』では、井原村の概略図においては神ノ倉山の記述は無く、山頂あたりに「神倉権現社」が図示されるのみであるものの、「祠廟」の項において日宮烏権現(神倉権現社と同じか)が「神倉といふ地にありて」と記すとともに、「古跡名勝」の項において、井原村の山上にある「神倉(かんのくら)」として記述されている。ここでは「巨岩の高さは15丈(約45m)あり、岩の中に権現社があって、傍らに泉がある。また、風穴があり、深さは測ることはできないが、常に風が出ている。干ばつの時に祈れば、小蛇が出て必ず雨が降る」という伝承が記されている。また、「岩の上からは、芸、石、雲の三国、南北の山海を望むことができる」という記述もあり、当時から風光明媚な地として知られていたことがうかがえる。[6] なお、「神ノ倉山」の表記は国土地理院地図によるものであり、これ以外に「神乃倉山」「神倉山」「神の倉山」などと表記されている事例もある。 神ノ倉山は、古生層の硬い岩石からできた山である。吉田博直により「神ノ倉山層」と名付けられた主に砂岩・頁岩による厚さ300m以上の地層が、神ノ倉山を中心に近隣一帯に広く分布している。岩質は千枚岩質粘板岩であり、神ノ倉山頂の絶壁では、緑色岩を伴いながら砂岩・頁岩が縞状を成し、ホルンフェルス化している様子が見られる。[7] 神ノ倉山は、古代からの山岳信仰の山と見られている。その根拠として、広島市側の井原地区と安芸高田市側の有留地区の境界に尾上(おがみ)という地名があり、この地名が「拝み」を意味していると考えられている。[8]また、井原地区からの北田城側の登山道の途中には、「崇拝(おがみ)の水(別名・神之水)」と呼ばれていた水飲み場がある[9]。
概要
名称
地質上の神ノ倉山
三角点
種別等級:三等三角点
点名:井原
歴史
古代
Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef