神の存在証明(かみのそんざいしょうめい、英語:Existence of God)とは、主として(少なくとも、西欧哲学でこの言葉を使うときは)、中世哲学における理性による、神の存在の根拠の提示を意味する。神の存在は、諸事物の存在が自明であると同様に、自明と考えられていたが、トマス・アクィナスが『神学大全』において取った立場が示すように、神は、自然なる理性においても、その存在や超越的属性が論証可能な存在である。このように神の存在を、理性(推論)によって導出する手順が、「神の存在証明」と呼ばれる。神の存在証明は、古代から中世にかけての哲学的思索の中で、代表的には3つのものが知られ、これに、3つの神の存在証明を全て論駁し否定したイマニュエル・カントが、彼自身の哲学の帰結として要請した「神の存在」の根拠が加わって、4種類が存在する。
また、この4種類の存在証明は、いわば典型的な論証形式のパターン区別に当たり、他の様々な個別的な思想家が、神の存在証明を試みてきた。
目次
1 4種類の存在証明
1.1 目的論的証明
1.2 本体論的証明
1.3 宇宙論的証明
1.4 道徳論的証明
2 様々な存在証明の試み
2.1 キルヒャーによる神の存在論証
2.2 オイラーによる神の存在証明
2.3 アシモフへの反論による神の存在証明
3 現代における存在証明
4 関連項目
5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク
4種類の存在証明は、カントがなした分類に従って、通常、次のように言う。 前3者は、カントが『純粋理性批判』の第三章「純粋理性の理想」において中世以来の神の存在証明をその論駁のために独自にまとめたものである。しかし、神の存在証明の分類としてよくまとまっているため説明の際にしばしば使用される。 世界の事物 このような精巧な世界と自然の仕組みは、調べれば調べるほど、精巧かつ精妙で、人間の思考力や技術を遥かに超えている。世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、「人知を超越した者」の設計が前提になければ説明がつかない。すなわち、自然の世界はその高度な目的的な仕組みと存在のありようで、まさに神の存在を自明的に証明している。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。西暦1世紀に使徒パウロは「神の永遠の力と神性は被造物に現れておりこれを通して神を知ることができる」と言っている。現代においては、インテリジェント・デザインが目的論的証明と同様の立場を取る運動として著名である。 アンセルムスやデカルトが、このような形の神の存在証明を試みたので有名である。この証明はいくつかのヴァリエーションを持つが、「存在する」という事態を属性として捉え、例えば次のような論理を展開する。 我々は「可能な存在者の中で最大の存在者」を思惟することができる。ところで「任意の属性Pを備えた存在者S」と、「Sとまったく同じだけの属性を備えているが(Sは備えていない)「実際に存在する」という属性を余計に備えている存在者S'」では、S'のほうが大きい。よって「可能な存在者の中で最大の存在者」は(最大の存在者であるためには、論理的必然として)「実際に存在する」という属性を持っていなければならない。ゆえに「可能な存在者の中で最大の存在者」は我々の思惟の中にあるだけでなく実際に存在する。ところで、可能な存在者の中で最大の存在者とは神である。したがって、神は我々の思惟の中に存在するだけでなく実際に存在する。 この証明は一見して詭弁じみており、アンセルムスの同時代人ガウニロ
4種類の存在証明
目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。
本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。
宇宙論的証明:因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。
目的論的証明
本体論的証明
宇宙論的証明や出来事には、全て「原因」と「結果」があると考えたのはアリストテレスである。従って、神の宇宙論的証明は、アリストテレスがすでに行っていた。