祝詞
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この項目では、神道について説明しています。その他の用法については「祝詞 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
祝詞の様子

祝詞(のりと)は、神道祭祀において神に対して唱える言葉で、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。
概説

[1][2]
語義・語源

ノリトのノリは「宣る」の名詞形で、呪的に重大な発言をすること。トは屎戸・詛戸・事戸などのトと同様に呪的な行為や物につける接尾語と解するのが、通説となりつつある。賀茂真淵は詔賜言(のりたべごと)、本居宣長は宣説言(のりときごと)をノリトの語源と説いたが、こんにちでは認められていない。本来はノリトの語形であったのがコト(言)を加えてノリトゴトとなったとする説と、逆にノリトゴトの語形だったのがノリトと略されたとする説とがある。平安時代後期以降は音便化してノットとも呼ばれるようになった。
ノリトの表記

ノリトに「祝詞」の字をあてたのは、中国における用字「祝文」の「文」を「詞」に変えたもので、「祝文」は巫祝が神に対して申した言葉を意味する。古代律令制下における法制上の用語としては「祝詞」で統一されているが、他に以下のような表記がある。

詔戸言(のりとごと)……『古事記』上巻

諄辞(のりと)……『日本書紀』神代上

詔刀(のりと)……『延喜式』巻四

詔刀言(のりとごと)……『中臣寿詞

告刀(のりと)……『皇大神宮儀式帳』

法刀言(のりとごと)……『令集解

文体と内容

後述の延喜式所載の祝詞の文体は、宣命体と奏上体の二種に大別できる。宣命体は「諸聞き食へよと宣ふ」「称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」のような語句で終え、祭祀の場に参集した人々に宣読する形式のものである。それに対し、奏上体では「申し給はくと申す」「称へ辞竟へ奉らくと申す」などと終え、直接神に対して奏上する形式のものである。ノリトのノリに「宣り聞かせる」という意味があることから、宣命体の祝詞が古く、本義を伝えるものであるとも考えられるが、軽々には決着がつけがたい。

折口信夫は日本文学の発生を信仰起源説に起き、文学の発生をうながした口頭詞章のひとつとして呪言を想定した。呪言には上から下へ宣り下す詞章と、下から上へ申し開きをする詞章があり、前者は神が精霊に命令し、後者は精霊が神に屈服を誓約する言葉である。これが天皇と臣下の関係に移行して、前者がノリト、後者がヨゴトと称されるようになったという。また、神より命令された精霊が、さらに下の精霊に伝達する言葉をイワイゴトであるとした[3]
構成と表現法

延喜式祝詞の多くは、おおよそまず祭神の御名を唱え、あるいは神代の伝承から説き起こして当該祭祀の由来を述べ、つづいて神徳を称え、神饌幣帛を奉り、祈願の趣旨が述べる。より後代に成立したと目される祝詞においては、冒頭における神代の伝承を省くものもある。その表現法は、比喩列挙反復、対語、対句などの修辞が用いられ、善言美辞をつくし、荘重な格調を織りなすものとなっている。
表記法

厳粛であるべき祭祀の場において読み誤りを防ぐため、祝詞においては独特な表記法がとられている。すべて漢字が用いられているものの、漢文ではなく日本語の語順によって、主に体言動詞形容詞語幹が正訓字として大きく書かれ、用言活用語尾助詞助動詞などが万葉仮名で小さく書かれる。これを宣命書きという。これは古代において和風を含む漢文体に比べて正確に音声化しうる表記法であって、時代がくだり漢字仮名交じり文が成立してからも祝詞は宣命書きをもって書かれ、こんにちにおいてもこれは同様である。
祝詞の種類

[4]

今日一般に祝詞といわれるものは、以下のように分類できる。このうち御告文以降は皇室祭祀における特殊な祝詞である。
祝詞(のりと)
もっとも狭い意味での祝詞。神饌その他を奉り、神祇を祀る際に奏上する詞。
拝詞(はいし)
祭典を行わず、単に神祇を拝する際に奏上する詞。
祓詞(はらえことば)
を修するとき、祓の神に奏上する詞。
祭詞(さいし)
神社本庁包括下の神社においては、例祭、鎮座祭、本殿遷座祭、式年祭において献幣使が奏上する詞。また、神葬祭において奏上される詞。
御告文(おつげぶみ)
天皇が神祇を親祭するときに奏上する詞。一般に、親告される勅語、または勅語を記した口上書もこう称する。皇太子皇族の場合は「御」を省き「告文」という。これは明治以降「こくぶん」であったが、現在は「つげぶみ」と称されている。
御祭文(ごさいもん)
勅使が神祇に奏上する詞。明治6年(1873年)4月3日の太政官布告第123号以前は宣命と称した。
策命文(さくみょうぶん)
山陵天皇皇后の墓所)や御墓(皇太子皇族の墓所)において行われる祭祀で奏上する詞。
古典祝詞
[5][6][7]

延喜式祝詞

太古より神祭りに際し、何らかの詞を唱えていたらしいことは、記紀の天岩屋戸のくだりにおいて天児屋命がフトノリトゴトを奏したとあり、『古事記』の国譲りのくだりで、神聖な火を切り出して神饌を調理し、神に奉るときに寿詞(火鑚詞)を奏したとの伝承が残っていることから、うかがえる。古代より現代まで祝詞は作られているが、神道古典として、また現代祝詞の規範になっているのは延長5年(927年)12月奏進の『延喜式』巻八に収められている27編の祝詞である。以下に表にして示す(各祝詞の読み方は、青木[2000]によった)。

延喜式祝詞一覧分類祝詞名読み方文体
1朝廷の恒例祭祀祈年祭としごいのまつり宣命体
2春日祭かすがのまつり奏上体
3広瀬大忌祭ひろせのおおいみのまつり宣命体
4龍田風神祭たつたのかぜのかみのまつり宣命体
5平野祭ひらののまつり奏上体
6久度古開くどふるあき奏上体
7六月月次みなづきのつきなみ宣命体
8大殿祭おおとのほかい奏上体
9御門祭みかどほかい奏上体
10六月晦大祓みなづきのつごもりのおおはらえ宣命体
11東文忌寸部

献横刀時呪やまとのふみのいみきべのたちを

たてまつるときのしゅ
12鎮火祭ひしずめのまつり奏上体
13道饗祭みちあえのまつり奏上体
14大嘗祭おおにえのまつり宣命体
15鎮御魂斎戸祭みたまをいわいべにしずむるまつり奏上体
16伊勢の神宮の祝詞二月祈年、六月十二月

月次祭きさらぎのとしごい、みなづき

しわすのつきなみのまつり奏上体
17豊受宮とようけのみや奏上体
18四月神衣祭うづきのかんみそのまつり宣命体
19六月月次祭みなづきのつきなみのまつり宣命体
20九月神嘗祭ながつきのかんにえのまつり奏上体
21豊受宮同祭とようけのみやのおなじきまつり奏上体
22同神嘗祭おなじきかんにえのまつり宣命体
23斎内親王奉入時いつきのひめみこを

たてまつりいるるとき奏上体
24遷奉大神宮祝詞おおかみのみやをうつしまつるのりと奏上体
25朝廷の臨時祭祀遷却祟神たたりがみをうつしやる奏上体
26遣唐使時奉幣もろこしにつかいをつかわすとき

みてぐらをたてまつる奏上体
27出雲国造神賀詞いずものくにのみやつこのかんよごと奏上体

延喜式祝詞の古写本

現存する最古の写本は九条家本で、平安時代後期に筆写されたと見られる。本文には後世の改変がなく、傍訓も古体の仮名で書かれている。ついで大永3年(1523年)筆写の卜部兼永本があり、これは万葉仮名の用法において九条家本よりも古い形態を残している。その他に兼永本とは異系統の一本である天文11年(1542年)の卜部兼右本がある。
祝詞の作成年代

延喜式』所収の祝詞は作成年代に幅があるが、ある程度、推測できるものもある。上の表中、2はこの神社の創祀が神護景雲2年(768年)であり、3、4はこの祭祀の初見が天武天皇4年(675年)であること、5、6はこの神社の祭祀が延暦年間(782-806年)であること、27の神賀詞奏上の初見が霊亀2年(716年)であり、文中の地名が飛鳥京・藤原京の時代を反映していることから、年代を推定することができる。

また、1、7、10は何次かの改変が加えられていると考えられ、1、4、7、14や後述の「中臣寿詞」の文中にある「天つ社・国つ社」の用語は「近江令」施行中の天智天皇10年(671年)から持統天皇3年(689年)の間とする説もある。
祝詞の奏上者

記紀や『古語拾遺』に、忌部氏の祖神・太玉命が幣帛を担当し、中臣氏の祖神・天児屋命(所伝によっては太玉命も)祝詞を奏したとの伝承がある。これを踏まえ、『神祇令』の規定では上の表中、1、7では中臣氏が祝詞を宣り、忌部氏が幣帛を班つことになっており、8、9では斎部氏が、その他は中臣氏が祝詞を読むことになっていた(ただし祭祀の性質上、11や27は除くものと解される)。


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