社共共闘
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社共共闘(しゃきょうきょうとう)とは、日本社会党(現・社会民主党)と日本共産党が選挙に統一候補を立て共闘した政治方針。1960年代後半から70年代にかけて主に首長選挙において活発化した[1]。より幅広く「革新共闘」とも呼ばれた。民社党がこれに協力することは少なかった。反共を掲げて結成された同党[2]自由民主党と結びつくのは理の当然とも言え、社会・共産はしばしば苦戦を強いられた[注 1]
1950年 - 1959年
1950年


4月 -
京都府知事選挙は共闘。社会党公認の蜷川虎三は、共産党を含む全京都民主戦線統一会議の推薦を得て立候補。民主自由党と日本民主党の推薦を得た井上清一との一騎打ちを制し初当選した[8]。【共闘・当選】

1959年


4月 - 北海道知事選挙は実質的な共闘。北海道1区選出の衆議院議員の横路節雄が社会党公認で立候補。横路の配偶者の実兄が元中央委員長の野呂栄太郎だったことから、日本共産党は後方支援をした。同じ北海道1区選出の衆議院議員の町村金五が自民党公認で立候補し、横路らを破り初当選。戦後初の保守道政となった。【共闘・落選】

1960年 - 1969年1967年4月の東京都知事選挙はその後の革新共闘の先駆モデルとなり[1]美濃部亮吉陣営の手法は「東京方式」とも呼ばれた[9]。写真は左から社会党委員長の佐々木更三、無所属の市川房枝、候補者の美濃部、共産党中央委員会議長野坂参三1967年の都知事選において民社党は共産党の都政進出阻止を目指し、反共主義者として名高かった松下正寿を擁立した[10][11]自由民主党も松下推薦を決定し、社共推薦候補の美濃部亮吉に対抗した。作戦会議をする佐藤栄作首相と民主党委員長の西尾末広
1960年


9月 - 福岡市長選挙は共闘。元衆議院議員の福田昌子が社会党の推薦と共産党の支援を得て立候補するも、自民党・民社党推薦の元内務官僚の杉本勝次に敗れた[12]。【共闘・落選】

1963年


3月 - 北九州市長選挙は共闘。元参議院議員の吉田法晴が社会党の公認と共産党の推薦を得て立候補。自民党・民社党推薦の杉本勝次との一騎打ちを制し、初当選した[13]。【共闘・当選】


4月 - 東京都知事選挙は共闘。阪本勝が社会党・共産党・民社党の推薦を得て立候補するも、自民党推薦の現職の東龍太郎に敗れた[3]。【共闘・落選】


4月 - 川崎市長選挙は分裂。 元衆議院議員の中嶋英夫が社会党推薦で立候補し、今野武雄が共産党公認で立候補し、票が割れた結果、自民党推薦の現職の金刺不二太郎が5期目の当選を果たした(金刺:141,979票、中嶋:134,588票、今野:18,989票)[14]。【分裂・落選】

1966年


11月 - 山形市長選挙は共闘。元県議の金澤忠雄が社会党の公認と共産党の推薦を得て立候補。無所属保守系の茂木弘、自民党公認の山本竹司を破り、初当選した[15]。【共闘・当選】

1967年


1月 - 愛媛県知事選挙は共闘。湯山勇が社会・共産の推薦を得て立候補するが、自民党公認の現職の久松定武に敗れた[16]。【共闘・落選】


1月 - 高知市長選挙は共闘。元参議院議員の坂本昭が社会党の公認と共産党の推薦を得て立候補。自民党推薦の広松万亀男との一騎打ちを制し、初当選した[17]。【共闘・当選】


2月 - 江刺市長選挙は分裂。佐藤菊蔵が社会党・民社党の推薦を得て立候補し、昆野和男が共産党公認で立候補。佐藤が現職の渡辺長純を下し、初当選した[18]。【分裂】


2月22日 - 社会党委員長の佐々木更三は、京都市長選挙に社会・共産推薦で立候補した新人の富井清の応援のため同市を訪れ、記者会見の場で「民社党は第二保守党」と発言した。民社党は火の付いたような騒ぎとなり、これを聞いた党書記長の西村栄一は「わが党を侮辱するとは何事だ。社会党は第二共産党だ」と言い返した[19][20]


2月26日 - 京都市長選挙は共闘。社会・共産推薦の富井清は、自民・民社推薦の八杉正文との一騎打ちを制し初当選した[21]。【共闘・当選】


4月 - 東京都知事選挙は共闘。経済学者の美濃部亮吉が社会・共産の推薦を得て立候補。民社党・自民党推薦の松下正寿らを破り初当選した[3]。【共闘・当選】


4月 - 神奈川県知事選挙は分裂。元県議の竹田四郎が社会党公認で立候補し、渡辺俊太郎が共産党公認で立候補したため票が分散。自民党推薦の津田文吾が初当選した[22]。【分裂・落選】


4月 - 福岡県知事選挙は共闘。現職の鵜崎多一は社会党の公認と共産党の推薦を受けて立候補するが、自民・民社推薦の亀井光に敗れた[4]。【共闘・落選】


4月 - 川崎市長選挙は分裂。 吉浜照治が社会党公認で立候補し、今野武雄が共産党公認で立候補し、笠井儀郎が民社党公認で立候補した。票が割れた結果、自民党推薦の現職の金刺不二太郎が6期目の当選を果たした[14]。【分裂・落選】


4月 - 枚方市長選挙は共闘。山村富造が社会党の公認と共産党の推薦を得て立候補。元社会党所属で現職の寺嶋宗一郎が自民・民社の推薦を得て立候補。山村が寺嶋らを破り初当選した[23]。【共闘・当選】


4月 - 高松市長選挙は分裂。脇信男が社会党公認で立候補し、下川行夫が共産党公認で立候補した。票が割れた結果、自民党公認の三宅徳三郎が初当選した[24]。【分裂・落選】


10月 - 保谷市長選挙は共闘。原田彰俊が社会党の公認と共産党の推薦を得て立候補し、無投票で初当選した[25]。【共闘・当選】

1968年


2月 - 藤沢市長選挙は分裂。元市議の葉山峻が社会党推薦で立候補し、阿部幹が共産党公認で立候補したため票が分散。現職の金子小一郎が当選した[26]。【分裂・落選】


6月 - 埼玉県知事選挙は共闘。粟屋豊が社会・共産・民社の推薦を得て立候補するが、自民党公認の現職の栗原浩に敗れた[27]


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