その他の用法については「社会思想 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
社会思想(しゃかいしそう、英: Social thought)とは、社会についての思想的考察を指す。 森羅万象の現象を自然、社会、人間と三分すれば、それぞれについての考え方、思想というものは、「自然についての思想」「社会についての思想」「人間についての思想」の三つになる。そのうちの「社会についての思想」が一般に「社会思想」と言われるものである。その思想なるものは、単なる思いつきや断片的なエッセイではなく、まとまりのある一つの主張として、記述されたものでなければならない。 古今東西の社会思想の中で、独自の社会思想を構築した者は多いが、その中で社会思想とはどういうもので、どういう要素を備えたものでなければならないか、いわば社会思想類型論を唱えた者としては、日本の河合栄治郎が特筆である。河合によると、広義の社会思想は次の四つの要素を備えている。そのうちのB社会思想が狭義の社会思想である[1]。
社会思想とは
一般の社会思想論
河合栄治郎の社会思想モデル
@「世界観・哲学」=例えば本体論
河合はマルクス主義の体系、ベンサムの体系、J・S・ミルの体系などを調べて、優れた社会思想の体系は上記のような構造になっていることを突き止めた。ただ、各社会思想家によって、力点の置き方が異なっていたりするのは事実である。例えば、A現存社会の分析・解剖やC政治思想なしにB社会思想だけを唱えたのが空想的社会主義であり、@、A、B、Cがバランスよくすべての分野で理論を持っているのが、マルクス主義やベンサム、ミル思想である。今のところ、この四要素説に代わるべき考え方は誰からも出されていない[3]。 河合モデルによりイギリス労働党の社会思想体系を分析すれば、次のようになる。 「社会思想」と「政治思想」の違いは、河合のモデルから言えば、目的と手段の関係にある。つまり社会思想は目的であり、政治思想は目的達成の手段、方法である。現実の思想では目的を述べるとともに、手段についても述べることが多く、社会思想であるとともに、政治思想であることが多い。 現在問題となっているのは哲学、倫理学、法哲学、政治哲学、経済哲学などで影響を増しつつある「正義論」と「社会思想」との違いである。どちらも理想の社会とか状態を述べるが、社会思想はその社会像を述べるのに対して、正義論は原理を述べる。具体的な著作で比較すれば、社会思想書では現存社会の分析や政治思想や社会運動をも加えて叙述するのに対して、正義論の書ではそういう叙述はなく、原理の可否、妥当性のみを論ずる。 以上の社会思想を人類の最初から現代にまで一望のもとに眺め見るのが社会思想史である。その社会思想史をどのように叙述するべきか。河合の社会思想モデルによれば、各思想家ごと、あるいは各流派ごとに、@世界観・哲学、A現存社会の分析・解剖、B社会思想、C政治思想を述べていくことになる[7]。現実の社会思想史書では、そのようになっているものは少ない。現実の社会思想史書を類型化した研究書に高島善哉、水田洋、平田清明『社会思想史概論』(1962年)があり、そこでは次の類型が示されている[8]。
マルクス主義の社会思想体系の認識論、自然主義の欲望論、階級道徳論の道徳哲学、集団主義の社会哲学
A現存社会の分析・解剖=マルクス経済学
B社会思想=社会主義(将来は共産主義)
C政治思想=暴力革命主義、プロレタリア独裁主義[4]
イギリス労働党の社会思想体系
@世界観・哲学=唯心論の存在論、観念論の認識論、理想主義の欲望論、理想主義の道徳哲学、個人主義の社会哲学[5]
A現存社会の分析・解剖=土地理論
B社会思想=社会主義
C政治思想=議会主義[6]
社会思想と他の用語との関係
社会思想史とは
社会思想史の類型
@社会的現実の側から接近するもの