礼文駅
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礼文駅
駅舎(2017年9月)
れぶん
Rebun

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所在地北海道虻田郡豊浦町字礼文華.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度34分49.51秒 東経140度35分42.4秒 / 北緯42.5804194度 東経140.595111度 / 42.5804194; 140.595111座標: 北緯42度34分49.51秒 東経140度35分42.4秒 / 北緯42.5804194度 東経140.595111度 / 42.5804194; 140.595111
駅番号○H44
所属事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線■室蘭本線
キロ程23.6 km(長万部起点)
電報略号レン
駅構造地上駅
ホーム2面3線
乗降人員
-統計年度-4人/日
-2014年-
開業年月日1928年昭和3年)9月10日[1]
備考無人駅
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礼文駅(れぶんえき)は北海道虻田郡豊浦町字礼文華(れぶんげ)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線である。電報略号はレン[2]事務管理コードは▲140304[3]駅番号はH44。当駅から長万部方面は函館支社の管轄になる。
歴史1976年の礼文駅と周囲約1km範囲。右下が東室蘭方面。単式と島式の複合ホーム2面3線、駅裏に2本の砂利線、駅舎横長万部側の貨物ホームへ引込み線を有している。
ここも隣の大岸駅同様に開設当初から長らく相対式ホーム2面2線で運用され、また駅裏の砂利線も東室蘭方からの2本の引込み線として当初より設置されていた。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1928年(昭和3年)9月10日鉄道省長輪線静狩駅 - 伊達紋別駅間開通に伴い開業[4]一般駅

1931年(昭和6年)4月1日:長輪線を室蘭本線に編入、それに伴い同線の駅となる。

1980年(昭和55年)5月1日:貨物取扱い廃止[1]

1984年(昭和59年)2月1日荷物取扱い廃止[1]

1986年(昭和61年)11月1日:無人[5]簡易委託)化。

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]

1989年(平成元年)12月:駅舎改築。

時期不詳:簡易委託廃止、完全無人化。遅くとも1993年(平成5年)時点では簡易委託駅であった[2]

駅名の由来

所在地名の「礼文華(れぶんげ)」を略したものである[4]

「礼文華」はアイヌ語に由来し、上原熊次郎による「レプンケ??(repun-ke-p)」に由来するとする解が有力である[6]。これは「沖の(方へ)・削る・もの」すなわち「断崖」を意味し、現在の大岸地区のすぐ西の岬の名から出たとされている[6]

このほか、永田方正が「レプンケ??(rep-un-kep)」(沖へ流れ出る所)とする説[6]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』が「レプンケプ」(沖へ突き出ている所)とする説を紹介しているが[4]、北海道が1999年(平成12年)に編纂した「アイヌ語地名リスト」において、この2説は疑わしいとされている[6]

2016年(平成28年)の留萌本線礼受駅の廃止以降、JRでは唯一「れ」から始まる駅となった。
駅構造

長万部駅管理の無人駅で、単式島式複合型の2面3線を有する地上駅である。互いのホームは岩見沢方の構内踏切で連絡している。1993年(平成5年)時点では上りホーム(駅舎側)に長万部方から分岐した側線を1本、下りホームの外側にバラスト積出用の側線を2本有していた[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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