この項目では、北海道の島について説明しています。その他の用法については「礼文」をご覧ください。
礼文島
利尻山山頂から見た礼文島
所在地 日本 北海道
所在海域日本海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度26分14秒 東経141度02分16秒 / 北緯45.43722度 東経141.03778度 / 45.43722; 141.03778
礼文島(れぶんとう)は、北海道の北部、稚内の西方60kmの日本海上に位置する島。礼文郡礼文町に属する。
礼文水道を挟んで利尻島の北西に位置する。冷涼な気候により海抜0メートル地帯から200種類以上の高山植物が咲き乱れているため別名花の浮島と呼ばれている[2]。人口は2022年(令和4年)3月1日現在、2,352人[3]。礼文島の北部は樹木が少なくササ原となっているのは明治期の薪材の伐り出しや、度重なる山火事によって樹木が消失したことによる。 アイヌ語では「沖の・島」を表す「レプンシ?(repun-sir)」「レプイシ?(repuy-sir)」と呼ばれ、日本語名はこの「レプン」に字を当てたものである[4]。 アイヌ語研究者の山田秀三は利尻島の沖にあるためついた名としている。 日本最北端の有人島(北海道本土や北方領土を除く)。東西約7.9キロメートル、南北約25.8キロメートル、周囲約72キロメートル。スコトン岬と金田ノ岬の間に直径5キロメートルの半円形の船泊湾がある。最高地点は礼文岳(標高490メートル)。スコトン岬の北方約1キロメートルにはトド島と呼ばれる小島がある。桃岩荘辺りから見る元地漁港
島名の由来
地理礼文島の地形図スコトン岬とトド島
海蝕崖、低標高の寒地であり、高山性植物群落が見られ、地形は周氷河地形である。丘陵性地形の離島である。島の北部と南部に標高100m前後の第四紀更新世の海岸段丘が見られる[5]。
集落は東海岸と北部・南部にまとまっており、西海岸には元地(もとち)・宇遠内(うえんない)・西上泊(にしうえどまり)・鉄府(てっぷ)の各集落がある。中心集落である香深(かぶか、かふか)・船泊(ふなどまり)をはじめ島の東海岸・北部は比較的開けている。島を縦断する車道は東海岸にあり北部 - 東部 - 南部に通じているが、西海岸を縦断する道は車両の通行が不可能な林道のみとなっている。島のほぼ中央部分を礼文林道という未舗装の道が通っている。
島の北部には久種湖(くしゅこ)という淡水湖がある。
地形・地質礼文島の空中写真。2014年9月3日撮影の146枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
白亜紀 - 新第三紀中新世に海底で堆積した砂岩や泥岩、火山岩の地層が見られる。また地蔵岩の周辺から1億1150万年前のアンモナイトの化石が見つかっており、新第三紀中新世の地層は、主に海底火山の残骸からで、スコトン岬や知床に露出が見られる[6]。白亜紀の地層は、礼文岳を中心とした島のほぼ中心に露出し、また桃岩は、約1300万年前のマグマが海底下で個結したものである。以上のことから、礼文島の形成場所は海底と考えられている。礼文島が南北に伸びているのは島の骨格をなす白亜紀の地層が南北に褶曲したためである[7]。
至る所に安山岩、玄武岩の柱状節理が岩脈として現れている。また化石やケイ岩、火打石(レブンメノウ)を数多く産出している。