礒 恒之基本情報
国籍 日本
出身地栃木県那須郡湯津上村(現:大田原市)
生年月日 (1975-11-29) 1975年11月29日(48歳)
身長
体重179 cm
72 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1997年 ドラフト4位
初出場NPB / 1998年4月19日
最終出場NPB / 2001年9月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
栃木県立黒羽高等学校
城西大学
千葉ロッテマリーンズ (1998 - 2002)
住友金属鹿島
佐川急便軟式野球部
江蘇ホープスターズ (2006 - 2007)
コーチ歴
江蘇ホープスターズ (2006 - 2007)
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礒 恒之(いそ つねゆき、1975年11月29日 - )は、栃木県[1]出身の元プロ野球選手(投手)。 小学5年の時に父がコーチを務めるチームで野球を始める[1]。栃木・黒羽高校では1年秋からエースだった[1]。卒業後、城西大学に入り、4年春に6勝を挙げ首都大学野球リーグ初優勝に貢献し、最優秀投手に選ばれた[1]。秋は最下位となるも入替戦の3戦目は完投で1部残留を決めた。大学通算38試合に登板、15勝10敗[1]。 1997年のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け入団[1]。 ルーキー時代から全身を大きく使った豪快なフォームから繰り出す140km/h台後半のキレのあるストレートを武器に先発・中継ぎとして登板。1998年にロッテがプロ野球記録となる18連敗を喫した際に、13連敗目と15連敗目の敗戦投手となった。その年以降活躍を期待されるも1軍での出番は減少。2002年はついに1軍登板はなく、同年限りで退団[1]。 翌2003年、社会人野球の住友金属鹿島に元阪神タイガースの吉田浩とともに入部[1]。 2005年は佐川急便の軟式野球部でプレーし、翌年よりロッテが技術提供を行っている中国リーグ江蘇ホープスターズで選手兼コーチとしてプレー。 年
経歴
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
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本
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四
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遠与
死
球奪
三
振暴
投ボ
h
ク失
点自
責
点防
御
率W
H
I
P
1998ロッテ1610100340--.42925255.258103022377036355.661.58
1999146000450--.44418440.14251912344025255.581.51
200030000000------246.040200400000.001.00
200120000000------82.020000000000.001.00
通算:4年3516100790--.438468104.01061551347511061605.191.51
記録
初登板:1998年4月19日、対日本ハムファイターズ3回戦(長崎ビッグNスタジアム)、1回裏2死に2番手で救援登板、3回1/3無失点
初奪三振:同上、1回裏に田口昌徳から
初先発・初勝利:1998年4月30日、対オリックス・ブルーウェーブ5回戦(千葉マリンスタジアム)、5回1失点
初完投勝利:1998年8月5日、対オリックス・ブルーウェーブ20回戦(千葉マリンスタジアム)、5回1失点(雨天コールド)
1球敗戦投手:1999年9月15日、対西武ライオンズ23回戦(西武ドーム)、9回裏無死に垣内哲也に左越サヨナラソロ ※史上15人目
背番号
47 (1998年 - 2002年)
36 (2006年 - 2007年)
脚注^ a b c d e f g h プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、47ページ
関連項目
千葉ロッテマリーンズの選手一覧
外部リンク
個人年度別成績 礒恒之 - NPB.jp 日本野球機構
表
話
編
歴