「磯崎洋介」とは別人です。
日本の政治家礒崎 陽輔いそざき ようすけ
2017年、農林水産副大臣当時
生年月日 (1957-10-09) 1957年10月9日(66歳)
出生地 日本 大分県大分市上野
出身校東京大学法学部
前職国家公務員(自治省・総務省)
所属政党(自由民主党〈安倍派〉→)
無所属
称号法学士
公式サイト ⇒礒崎陽輔(いそざきようすけ)の公式ホームページ
内閣総理大臣補佐官
(国家安全保障に関する重要政策及び
選挙制度担当)
内閣第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
在任期間2014年1月7日 - 2015年10月7日
内閣総理大臣補佐官
(国家安全保障会議及び選挙制度担当)
内閣第2次安倍内閣
在任期間2012年12月26日 - 2014年1月7日
参議院議員
選挙区大分県選挙区
当選回数2回
在任期間2007年7月29日 - 2019年7月28日
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礒崎 陽輔(いそざき ようすけ、1957年〈昭和32年〉10月9日 - )は、日本の政治家。
第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(国家安全保障及び選挙制度担当)を、第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣で農林水産副大臣、参議院行政監視委員長・文教科学委員長等を歴任。
選挙に関係する活動では、名前の表記にしばしば「いそざき陽輔」を用いる[1]。 大分県大分市上野生まれ。佐伯市立佐伯小学校、大分市立上野ヶ丘中学校、大分県立大分舞鶴高等学校、東京大学法学部(京極純一ゼミ[2])卒業[3]。1982年4月、自治省(現総務省)に入省。行政局振興課に配属[4]。同年7月、北海道に勤務。その後は和歌山県、静岡県、堺市への出向や自治大学校研究部長・教授、消防庁企画官、内閣官房内閣参事官(安全保障・有事法制担当、内閣官房副長官補付)、総務省自治行政局国際室長、救急振興財団審議役・救急救命東京研修所副所長、総務省大臣官房参事官などを歴任[3]。 2006年、自由民主党が実施した参議院大分県選挙区の候補者公募に合格。総務省を退職。 2007年の第21回参議院議員通常選挙に大分県選挙区から立候補し[5]。選挙戦では、河野太郎や後藤田正純、猪口邦子、片山さつき、佐藤ゆかりら知名度の高い党所属国会議員の応援を受け[6]、民主党大分県連が推薦する無所属の矢野大和、社会民主党が推薦する無所属の松本文六、国民新党公認の後藤博子ら4人を破り、初当選した[7]。大分2区の衛藤征士郎の引き合いにより、清和政策研究会に入会した[8]。 2012年4月27日、自民党は「日本国憲法改正草案」を策定し、公表。礒崎は起草委員会事務局長として条文作成に関わった[9]。同年9月の自民党総裁選挙では、安倍晋三陣営の選対で参議院事務局長を務めた。安倍は、事務仕事ができ、指示したことにすぐに従う礒崎を重宝したとされる[8]。同年10月、参議院文教科学委員長に就任。 同年12月、第2次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(国家安全保障会議及び選挙制度担当)に抜擢された[10]。 2013年の第23回参議院議員通常選挙に自民党公認で大分県選挙区から出馬し、新人4候補を下して再選された[11]。 2014年1月、内閣法の改正に伴い、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び選挙制度担当)の発令を受け、初代国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官に任命された。同年12月、第3次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(国家安全保障及び選挙制度担当)に再任[12]。 2014年11月26日、自民党は、テレビ朝日『報道ステーション』(11月24日放映)のアベノミクスに関する報道がおかしいとして、「公平中立な番組作成」を要請する文書をテレビ朝日に送付した[13]。文書が送付された11月26日、礒崎も総務省放送政策課に電話し、放送法4条が規定する「政治的公平性」について同省に説明を求めた。その後も礒崎は政治的公平性の解釈変更を総務省側に迫り続け[14][15]、2015年5月12日、高市早苗総務大臣は公式の場で初めて、政治的公平性の解釈変更を示唆する発言を行った[13][16]。
来歴
参議院議員に初当選