磯部勉
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いそべ つとむ
磯部 勉
本名磯部 勉[1]
生年月日 (1950-10-13) 1950年10月13日(73歳)
出身地 日本東京都[2]
身長173 cm[2]
血液型A型[2]
職業俳優声優
ジャンルテレビドラマ映画舞台吹き替えアニメゲームナレーション
活動期間1970年代 -
配偶者斉藤深雪
著名な家族磯部莉菜子(娘)
事務所エンパシィ[3]
公式サイト磯部 勉|エンパシィ
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磯部 勉(いそべ つとむ、1950年昭和25年〉10月13日[2] - )は、日本俳優声優エンパシィ所属[3]。過去の所属はアンクルベイビー。

東京都出身。妻は俳優座の斉藤深雪。娘は女優の磯部莉菜子。
来歴

両親は教師だったこともあり同じくなろうと思っていたが、ある日、桐朋学園短期大学を紹介され進学[4]。1年が過ぎた頃に唐十郎主宰の状況劇場を観に行ったことで俳優が面白いと思ったきっかけになった[4]。同大学卒業[3]後、1972年劇団俳優座に入団、演出家の千田是也に師事し舞台経験を積む。主にシェイクスピア劇で、好評を博す。その後、NHKドラマ『風神の門』では主人公霧隠才蔵の宿敵である獅子王院を演じた。以後、多くの舞台、テレビ、アニメ、映画で時代劇現代劇問わず活躍。

1980年代以降は、NHK大河ドラマの常連俳優として現在まで数多くの作品に出演。昭和の犯罪史を騒がせた死刑囚や犯罪者の服役後の姿を題材とした実録映画『さらば、わが友』に主演。主人公の若き日から晩年までを演じた。仲代達矢平幹二朗加藤剛の後を継ぐ俳優座出身スター候補として期待を集めるが、その後は往年の戸浦六宏を彷彿(ほうふつ)させるような知的な悪役バイプレイヤーなど、性格俳優としての側面を強めていく。1989年に俳優座を退団。
人物

声の仕事を始めたきっかけは20代の頃、京都府の撮影所にいた時、劇団俳優座映画放送部から「アテレコってやってみる気ある?」と聞かれたため、「やってみたいですね」と答えたからである[4]。声優としては『クレイマー、クレイマー』がデビュー作[5][4]で、『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』の主人公であるストリングフェロー・ホークを演じたジャン=マイケル・ヴィンセントをはじめ、メル・ギブソンハリソン・フォードチョウ・ユンファ(この3名の吹き替えは特に多く、共に二十本以上の作品の吹替版で担当)、ショーン・ビーンティム・アレンピーター・ウェラーブルース・ウィリスチェ・ミンシクの声を主に担当。

特にメル・ギブソンは『エア・アメリカ』で初めて吹き替えを担当して以来、大半の出演作で吹き替えを務めるようになり、専属(フィックス)として定着している[6][7][8]。『リーサル・ウェポン』シリーズのTV放送版では池田勝(同じくダニー・グローヴァーの吹き替えを多く担当)とのマシンガントークを演じ[注 1][9][10]、『ハート・オブ・ウーマン』、『ブラッド・ファーザー』でのコミカルな役まで吹き替えを行っている。磯部はギブソンを吹き替えることについて、特に『リーサル・ウェポン』シリーズに関しては、スピード感と緊張感に満ちた作品であることから、セリフを言うたびに目の前に星がちらつくこともあったといい[9]、「これまで、彼の激しい感じを出す事を意識していて、激しくしゃべりすぎて酸欠になった事もあった。だけど、長年吹き替えをやってきて、次第に、どこで息継ぎをするのか等クセが分かってきた」と一体感を覚えるようになったと語り、ギブソンの演技についても「やっぱり彼は、こういった荒ぶる男の役が似合うと思う。60過ぎで、自分より少し年下だけど、あのたくましさはやはりすごいね」と感嘆している。『ブラッド・ファーザー』では予告編のナレーションを担当しており、「今回は彼の映画のナレーションをするのは初めてだけど、ずっと吹替をやってきた人のナレーションが出来るのは光栄だね」と長年担当しているギブソンへの愛着を見せるコメントをしている[11]。また、『マッドマックス』シリーズもBSジャパンにて磯部による新録吹替が企画されたことがあったものの、実現しなかった。これは同時期に新装発売される同シリーズのブルーレイボックス収録用に安原義人(同シリーズをはじめとして、磯部に先駆けてギブソンを多く担当[注 2])による新録が既に行われていたためである[12]

磯部によるギブソンの吹き替えに感銘を受けた同業者もおり、尊敬している役者として磯部の名前を挙げている中村悠一は、自身のSNSで『リーサル・ウェポン』シリーズのテレビ朝日版吹替のファンであることを明かしている[13]と同時に『リーサル・ウェポン2/炎の約束』(1993年のテレビ放映時に磯部がギブソンの日本語吹替を担当)を見て洋画の吹替声優に憧れ、それをきっかけに声優を志し始めたと公言している[14][15]


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