いそがい はじめ
磯貝 一
生年月日 (1936-07-25) 1936年7月25日
没年月日1984年6月
職業照明技師
ジャンル劇場用映画(現代劇・成人映画)、テレビ映画
活動期間1953年 - 1984年
事務所若松プロダクション
主な作品
『胎児が密猟する時』(1966年)
『裏切りの季節』(1966年)
『天使の恍惚』(1972年)
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磯貝 一(いそがい はじめ、1936年7月25日 - 1984年6月末)は、日本の照明技師[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。 学歴等は伝えられていないが、本人によれば、黒澤明監督の『七人の侍』の照明助手が足りないとのことで応援として参加したのが、映画界への第一歩であったという[1]。同作は1953年(昭和28年)5月27日に撮影が開始された作品であるが、撮影は長引き、公開年の1954年(昭和29年)2月まで撮影は続いた。当時、磯貝は満17歳、同作の照明技師は森茂、照明助手にはチーフの金子光男
人物・来歴磯貝の最初の現場である『七人の侍』撮影風景(1953年)。
『七人の侍』と『二十四時間の情事』
独立系成人映画に転向した正確な時期は不明であるが、本人によれば、監督の若松孝二には、1963年(昭和38年)9月3日に公開された若松の監督デビュー作『甘い罠』以来、「ずっとついている」という[1]。同作の撮影技師は記録映画出身の門口友也
、若松の第2作『激しい女たち』、第3作『おいろけ作戦 プレイガール』では同じく秋山海蔵であったが[18][19]、第4作『不倫のつぐない』からは、東宝の子会社である東京映画の撮影技師であった伊東英男と組むことになり[20]、以降、多く伊東とのタッグが続いた[5][6][7][8][9][10][11]。若松の助監督・脚本家を務め、自らの監督デビュー作『堕胎』(1966年)を伊東・磯貝の技術陣で固めた足立正生によれば、「呼吸も合っていて、チームワークは抜群によかった」と回想する[21]。若松の監督デビューの翌1964年(昭和39年)、磯貝は、かならずしも若松作品だけではなく、秋山海蔵と組んで『肉体の手形』(監督小林悟)、塩田繁太郎と組んで『女の秘境』(監督高城浩)、中山光と組んで『おんな』(監督伊豆肇)、勝目勝こと金井勝と組んで『腐肉の喘ぎ』(監督新藤孝衛)といった作品で照明を手がけた[5][7][8][9][10]。1965年(昭和40年)の若松プロダクション設立に際して、同年6月に公開された第1作『壁の中の秘事』(監督若松孝二、主演可能かづ子)あるいは『情事の履歴書』(監督若松孝二、主演千草みどり)には参加できず、撮影技師は伊東英男であったが、照明技師は森久保雪一であった[22]。同年12月に公開された『欲望の血がしたたる』以降は、コンスタントに参加するようになる[5][6][7][8][9][10]。1968年(昭和43年)7月13日に結成された鈴木清順問題共闘会議には、若松プロダクションは「無心で参加する」と表明、若松孝二、大和屋竺、足立正生、沖島勲といった同社の作家陣に加え、撮影技師の伊東英男、助監督の秋山未知汚(現在の秋山道男)、製作主任の弥山政之とともに磯貝も署名し、運動に参加した[23]。