磯光雄
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いそ みつお
磯 光雄

別名義小田川 幹雄
贄田 秀雄
MISSILE☆MAX
生年月日1966年
出生地 日本愛知県
職業

アニメーター

アニメーション監督

アニメーション演出家

脚本家

ジャンル

テレビアニメ

アニメーション映画

活動期間1985年 -
主な作品
監督
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電脳コイル

地球外少年少女
アニメーター


機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

おもひでぽろぽろ

紅の豚

新世紀エヴァンゲリオン

GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊

 受賞
第11回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門
優秀賞
電脳コイル』(2007年)第7回東京アニメアワードTVアニメ部門
優秀賞
『電脳コイル』(2007年)第39回星雲賞メディア部門
『電脳コイル』(2007年)第29回日本SF大賞
『電脳コイル』(2007年)第13回アニメーション神戸賞
個人賞

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磯 光雄(いそ みつお、1966年 - )は、日本アニメーターアニメーション監督[1]愛知県生まれ[1][2]ネオメディアスタジオ座円洞を経てフリー[1][2]。別名義として小田川 幹雄、贄田 秀雄などがある。
来歴

大学中退後、1980年代半ばからアニメーターとして活動を始める[3]。ネオメディアに出入りするがフリーになり、その後、キャラクター作画の修行のためにスタジオ座円洞に入る[4]

1988年公開の映画機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』にメカニック作画監督原画で参加[5]テレビシリーズに参加していた流れでサンライズ制作デスクの高森宏治から原画に誘われて会社を通さずに小田川幹雄の名義で参加、その後メカ作監も担当することになった[4]。さらに高森から人手不足なので所属スタジオを紹介して欲しいと頼まれたため、彼自身が座円洞の社長に話を持って行った[4][5]。その結果、ペンネームの小田川幹雄(作画監督と原画)と本名の磯光雄(原画)の両方の名前でクレジットされることになった[4][5]

1989年発売のOVA機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で原画を担当し[注釈 1]、アニメ業界関係者やファンにその存在を強く印象付けた[6][7][8][9]。巨大兵器としてのモビルスーツ[注釈 2]の恐ろしさを、見上げるようなカメラアングルや作画、エフェクトで表現し、これに加えて爆風や空気抵抗による2次的な影響まで描写した[7][10][11]。特に画面内に起きうることを想像して積み重ねる作画思想は、後のリアル系作画に大きな影響を与えた[10]。また、この作品では「磯爆発」と呼ばれ、以降広まっていく爆発エフェクトが顕著に見られる[注釈 3][6]。監督の高山文彦とメインデザイナーの出渕裕からは初めてデザインをする機会を与えられ[注釈 4]、メカや軍の個人装備の一部を担当した[注釈 5][12]

1989年のOVA『EXPLORER WOMAN RAY』に匿名で参加[13]。『ポケットの中の戦争』第1話を見たAICに誘われ、第4話制作までの間に参加した[4]。この頃は座円洞を離れてスタジオ絵夢に籍を置いていた[13]

1990?92年頃、スタジオジブリに籍を置く[14][15]。テレビスペシャル『雲のように風のように』(1990年)での仕事を見たジブリの宮崎駿から直接スカウトされたという[16]。ジブリ作品では、宮崎がプロデューサーを務め高畑勲が監督した『おもひでぽろぽろ』(1991年)、宮崎が監督した『紅の豚』(1992年)、そして若手中心の『海がきこえる』(1993年)で原画を担当した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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