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磐梯山
東側から
標高1,816.29 m
所在地 日本
福島県猪苗代町・磐梯町・北塩原村
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度36分04秒 東経140度04分20秒 / 北緯37.60111度 東経140.07222度 / 37.60111; 140.07222
磐梯山(ばんだいさん)は福島県耶麻郡猪苗代町、磐梯町、北塩原村にまたがる1,816mの活火山である。会津盆地側からは、綺麗な三角の頂が見えることから会津富士(あいづふじ)、あるいは民謡にあるように会津磐梯山(あいづばんだいさん)とも呼ばれている。日本百名山に選定されており、福島県のシンボルの一つとされている[1]。 猪苗代湖の北にそびえる活火山(成層火山)で、標高は1904年に設置された三角点「磐梯」の1,818.61mを公式に用いていたが、同点が侵食されて消失したため2010年10月に同じ場所に新設して計測し直し、同年12月27日に1,816.29mに改められた[2]。広義には、主峰の磐梯山のほかに赤埴山(1,430m)と櫛ヶ峰(1,636m)を含めて「磐梯山」ともする。磐梯高原を含めて磐梯朝日国立公園に属する。 元は「いわはしやま」と読み、「天に掛かる岩の梯子」を意味する。古くは病悩山(びょうのうざん、やもうさん、わずらわしやま)とも呼ばれた。磐梯山の麓は南が表磐梯、北が裏磐梯と呼ばれる。表磐梯から見る山体は整った形をしているように見えるが、裏磐梯から見ると、一変して山体崩壊の跡の荒々しい姿を見せる。2007年には日本の地質百選に選定された。また、2011年には日本ジオパークに認定された。 現在も沼ノ平火口内と1888年の火口壁と数か所で小規模な噴気活動は継続している。1888年の噴火から100年を経た1988年には多面的に精力的な噴火像の調査が行われ、噴火直後の関谷清景らの報告資料には記載されていない事実も明らかとなった。 過去の火山活動の様子は地層中に多くの痕跡が残されマグマ噴火は数万年前に停止し、有史以降は水蒸気噴火活動が行われている[3]。 守屋(1988)[4]は、形成年代と構成物で4つに大別している。 一方、千葉(2001)ほかによれば、過去の活動は6期に分けられるとしている[5]。 9万年前頃の翁島火砕流堆積物と5万年前頃の頭無火砕流堆積物によって、それ以前の猪苗代盆地の河川がせき止められて水位が上がり古猪苗代湖が出現した[7]。 1888年(明治21年)7月15日の水蒸気爆発により、小磐梯が山体崩壊を起こし、発生した爆風と岩屑なだれにより北麓の集落(5村11集落)が埋没する被害を出し477人の死者を出した[9]。なお、マグマ由来物質は検出されていないためマグマ水蒸気噴火ではない[10]。 この噴火は明治になってからの近代日本初の大災害であり、大日本帝国政府が国を挙げて調査、救済、復旧を実施した。調査は関谷清景や菊池安らにより行われた[11][注釈 1]。学術的調査としては、当時としては珍しいアンケートの手法が採られており、かなり詳細な噴火の経過や被害状況、写真が収集され、論文としてまとめられている[13]。 のちに磐梯式
概要
火山活動
主成層火山体の形成
主にブルカノ式噴火の安山岩質溶岩による活動で、単純な円錐火山ではなく、噴出物による山体形成と破壊の複雑な構造と発達史(形成史)を持つ山体で、赤埴山、櫛ヶ峰が名残。
主成層火山体の大崩壊
3万年から2万5000年前頃、主成層火山体が南西方向に大崩壊し、翁島岩屑流堆積面と南西開き馬蹄形カルデラ壁を形成。1888年の崩壊の2倍から3倍の規模で、1980年のセント・ヘレンズ山の崩壊と同等規模と推定。この活動で猪苗代湖が形成された可能性がある。
大磐梯火山体の形成
崩壊カルデラを埋める活動で、大磐梯火山体と小磐梯火山体が形成される。
小磐梯火山体の形成と崩壊
北開きの馬蹄形カルデラ。従来の定説である「大規模な水蒸気爆発による崩壊」ではなく、「小規模な水蒸気爆発を引金とする急峻不安定な成層火山体の大崩壊」としている。
活動開始は明確ではないが西側に隣接する猫魔火山(活動年代は約110万年前から35万年前)の活動停止後から約29万年前よりも前の時期と考えられている。
約29万年前頃には、2回のスコリア噴火があった。
約21万年前から20万年前には、スコリア噴火と軽石噴火があった。
約16.5万年前から14.5万年前には、火山灰と軽石の噴火があった。
約8万年前から6.5万年前には、サブプリニー式噴火とブルカノ式噴火で軽石噴火と山体崩壊があった。崩壊の推定規模 40 - 45*108m3[6]。
約5万年前から4万年前には、軽石噴火と山体崩壊があり繰り返し活動をしていた。
有史以降
806年に噴火し、それまで2,000m以上あった富士山型の山から、1888年の噴火前の4峰(大磐梯、小磐梯、赤埴山、櫛ヶ峰)になったといわれているが、富士山型の山の崩壊については有史以前からの何度かの噴火によるものとの研究もある。崩壊の推定規模は 5×108立方メートル[6]。
1787年頃 水蒸気噴火?
1888年 7月15日 水蒸気噴火:岩屑なだれ、火砕流、降灰、死者 461、堰止めにより檜原湖・秋元湖などが生じる
1938年 5月9、15日 ラハール(火山泥流) 死者 2
1954年 4月3日 小規模岩屑なだれ
1965年 気象庁による観測開始
1988年 火山性地震多発
1888年の噴火詳細は「1888年の磐梯山噴火」を参照井上探景の錦絵「磐梯山噴火の図」合田清による磐梯山噴火の木版画
噴火当時は、まだ現地で撮った写真をそのまま新聞紙面に印刷することが難しかったため、報道の手段として錦絵や版画が用いられていた。[8]